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     Stereo Sound No.190号
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投稿者 スレッド
zappa1993
投稿日時: 2014/9/12 2:25
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: Stereo Sound No.190号
ホワイトメタルさん
こんばんは。

大変な状態の中ご丁寧にお返事下さりありがとうございます。
早く回復されることをお祈り申し上げます。

わざわざ本まで購入してくださり恐縮です。
途中でよく分からない展開になりかけましたが、今季号でほぼ決着がついたのではないかと思います。
お互いに相まみれないのは分かっていますし、自分の考えをしっかりと主張するということも大切だと思います。
先の投稿では和田氏を批判するような文面になりましたが、紙面から想像される音は私の好みの音でもありますし、その音を聴けば氏の言わんとすることもはっきり分かるのではないかと思います。
おそらくは誰もが容易に出せる再生音ではないのでしょうし、そこにはアコリバ製品の関与もあるのでしょうね。

「4分33秒」に限らず、ジョン・ケージの音楽はハッキリと好みが分かれる種類のものですね。
実に前衛的かつ先進的な感覚を形にした作品が多いですが、私はどちらかと言えば音楽という表現方法を用いた芸術作品のように捉えています。
発想は面白く並の感覚では無いと思いますが、現代芸術にありがちな簡単に人を寄せ付けない難解さがありますし、あまり音楽的でもありません。
それでも和田氏の体験やホワイトメタルさんの投稿を読むと、理解できるものだけが表現ではないというのが分かりますし、心理的な興奮や内に潜むものの発見など個の感覚を研ぎ澄ませていく中で見えてくる世界があるように思います。
そう言う意味では、スティーブ・ライヒなどのミニマルミュージックも自己との対峙と言えるかもしれません。


クラシックの優秀録音盤ですが、音の良い盤を探し求めておられるホワイトメタルさんの参考になるかと思い紹介させていただきました。
入手困難な物が多く、私などは見たこともない盤ばかりですが、1枚でも所有しておられるだけでも凄いです。
Reference RecodingsのCDは私も何枚か所有しておりまして、良い音質のものが多いように思います。
ご存知かもしれませんが、ここはHRx というものを販売しておりまして、ハイレゾリューション音源をファイルのままDVD-Rに収録してあるため、パソコンへのファイルコピーという最小の手間で高音質音源を聴けるメリットがあります。
通常ハイレゾ音源はインターネットからDLして手に入れることになりますが、どこかにあるサーバーから質の悪いネット回線を通って家庭内LAN → PCという伝達過程で音質の劣化は避けられず、同じ音源でありながら実は所有者毎に微妙に音が違うという問題をはらんでいます。(こういう問題をどうして誰も言わないのでしょう?)
また、最近はBlu-ray Audioという新たな高音質メディアもありますが、これはBlu-rayプレーヤーで再生することが前提となっており、折角のハイレゾ音源もパソコンにコピーして聴けるファイル形式にはなっていません。
(何枚か手に入れた中ではそうでしたし、他のものも明確にWAVファイルが収録されているとの記述もありません)
その中でHRxは、Reference Recodingsが所有するマスターに近い音源を高音質なまま誰もが簡単に聴けるというリスナーに配慮した作りになっており好感が持てます。
気に入ったCDのHRxも買ってみましたが、やはり素晴らしい音質の音源でした。
多くの高音質メディアにWAVファイルなどが直接収録されていないのは、DL購入で入手するハイレゾ音源への配慮や音源のコピー問題があるからだと思いますが、正規購入したユーザーの自由度に制限があっては高い金額を払う気がしませんし、おそらく殆どが自然淘汰されていくでしょう。


デジタル音源は量子化の際に切り捨てられる部分がありますし、bit数が少ないとダイナミックレンジも狭くなります。
またサンプリングレートが低いとこもった感じの音になりますので現状の44.1kHz/16bitというCDの規格ではどうしても音質的な制約は避けられません。
それならばハイレゾリューションであればあるほど良いかと言えばそうでもなく、まず音源のサイズが桁違いに大きくなるためこれを処理する負荷を無視するわけにはいきませんし、高い周波数になればなるほど電磁波ノイズ等の影響を受け易くなりますしノイズ対策も容易では無くなります。(192kHzより96kHzの音源の方が良く聴こえることがあるのはこのためだと思います)
192kHz/24bitなどのハイレゾ音源は空間表現が豊かで、粒子の粒まで見えそうだとの感想を目にしますが、意外と高周波ノイズの歪によるざらついた感じをそう捉えているだけかもしれません。
アコリバの製品で対策をすると電源の品質が良くなり、ノイズそのものの発生も抑えられますし、その上に各種のノイズ除去・抑制製品を使う事で音の質感は確実に良くなりますね。
仰るようにデジタルで質感の良い再生音を出すためにはノイズ・振動(これもノイズの発生源)対策は避けて通れません。


最後にお書き頂いた運命的な出会いのCDにとても興味があります。
またお会いできることを楽しみにしています

ホワイトメタル
投稿日時: 2014/9/9 23:20
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: Stereo Sound No.190号
zappa1993さん、こんばんは

いつもお世話様になります。

ここ半月程、私の勤め先で業績悪化での納得がいかないお世話になった大切な上司のリストラ、顧客の不渡り小切手などで生じた取引停止や処理、更に耳に纏わりつく蚊を振り払おうと反射的に強い力で耳を叩いてしまったら、鼓膜が破れてしまいました。
多分2〜3週間で鼓膜が塞がると医師が言っていましたが、万が一後遺症が残ればオーディオを止めなくてはなりません。
しかしながら、ポジティブに捉えております。
厄の後は福だと。
それよりも、zappa1993さんに意見を求めて頂いて嬉しいのです。


SS誌192号を購入していなかった為、急いで書店へ行き購入してきました。
今回はしっかりと特別討論企画「自分が目指す音」とは?を読んでみて、和田氏と山本氏の志向合戦を櫻井氏が録音エンジニアの立場で双方の議論を仲裁している内容でした。
そもそもが、御二人の音を実際に聴かせて頂いておりませんのでどの様な音なのか解りかねますが、密閉型と大口径ウーファーやホーン型ユニットのSPとの差異は大きいと思いますし、方向性も異なる気がします。

本来の両氏の議論である原音再生か、グッドリプロダクションかが解りづらく、マスターテープとは関係なしに、原音再生に限りなく近づけるのか、原音再生は念頭におきながら脚色してでも何物にも代えがたい再生音とでも題して議論していれば悶着も少なかったのではないでしょうか?
誤解を招くといけませんので一言申し上げますと、今回の記事は大変興味深く読めましたし評論家の先生方の客観的で機械的な文章と違い、長い経験から感じ得た吐露と自負が人間めいていて好ましいと思いました。
和田氏のリスニングルームの写真を拝見しているとアコリバ製品を多数使用されている様で、私個人的には和田氏に近い感覚が好みに属していると思います。


続ニアフィールドリスニングの快楽では、和田氏の感性豊かな箇所が随所に見受けられました。
コンサートで体験された、ジョン・ケージ「4分33秒」で感じ取った想像力は音楽を愛する真摯な意見だと思いました。
この曲はピアニストが椅子に座ったまま膝の上に手を置いたまま何もしないで曲を閉じるのですが、良く考えると馬鹿にした様な曲で作品として認めていない方も多い事かと思います。
因みに私は前衛的作品かもしれませんが、作品としては認めておりません。
感覚は好きですけど・・・
但し、私はいつもコンサートへ出向いた際に儀式の様に感じ得ようと努めている事があります。
開演前、会場内のざわつきや響き、音場の確認や演奏者の熱気などを予測する事が本番と同じ位に高揚するのです。
キース・ジャレットのコンサートの所感も大変興味深く、共感できる要素も多くて楽しめました。
コンサートが始まり、「ち、ちいさい」音と感じるも徐々に耳の感度が上がり、1時間も過ぎると十分過ぎる程の音量と感じて生音ってこんなに生々しいと感じる感覚は、私自身も毎回感じております。
私的に言いますと、耳のエージングと捉えております。
しかし、更に細かく自分なりに分析しますと、そうとも言い切れない場合もあります。
それは、演目(プログラム)の構成上その様な感覚を感じる事があります。
例えば、ピアノリサイタルでバロック〜ロマン派〜近代と言うプログラムでしたら、自然に音域の幅や和音や不協和音の進化で音楽自体のスケールが増し、次第に圧倒的な充実感を味わえるわけです。
ギターリサイタルなどは、更に顕著に「超ち、ち、ちいさい」と感じながらも、ガット(ナイロンの場合あり)の優し過ぎるニュートラルな質感も徐々に耳のエージングが進むとプログラム後半は頃には丁度良い音量に感じるものですが、プログラムの妙も関わっていると思っております。
逆に、例えば大編成曲の組曲「展覧会の絵」で始まり交響曲「運命」で終わると、楽器の編成や規模は異なるとは言え、耳のエージングは関係なくなるどころか何か音だけの感覚で言いますと、すっきりあっさりとした爽やかな感覚になるのは私だけでしょうか?


デジタル時代の優秀録音(知られざる必聴盤20選)についてですが、zaapa1993さんのご期待にはそえない形になってしまいました。
私が所有しているソフトは、DISC.13:NAXOS「プロコフィエフ、ヴァイオリン協奏曲集」しかありませんでした。
クラシックのCDはそこそこの枚数を所有していると思うのですが、何とこの1枚しか所有していないにはテンションが下がりました。
このNAXOSは、マニアックな作品を録音する稀有なレーヴェルの1つで、私自身20枚程所有しておりますが、セッション録音が基本でバランスは良い印象はあるのですが、質感や密度が薄いのが太鼓判を押せません。
恐らく、1,000タイトル以上は発売されていると推測され、私が所有していないソフトで素晴らしい優秀録音盤が存在しても不思議ではないレーヴェルかと思います。
DISC.20にReference Recodingsを有終の美として取り上げている点は、大変好ましく思います。
現代を代表する録音ミキサー、キース・Oジョンソン博士は私も敬愛しております。
このReference Recodingsのソフトを数枚所有しておりますが、位相が完璧で各楽器のリアル感は素晴らしいの一言ですが、質感に違和感を感じるソフトも実在しております。
しかしながら、次元の高い録音が多いレーヴェルである事は周知の事実です。


さて、本題のデジタル録音CDですが私自身答えは未だに見出せておりませんが、今まで感じた所感を記させて頂きます。
クラシックのソフトが一番真価を問うには恰好かと思いますのでご了承願います。
あくまでも、私個人的な見解ですので異論のある方や不快に思われた方には、予め謝罪させて頂きます。
いつも自己中心的な意見で申し訳ございません。

まず、サンプリング周波数の量子化により再生帯域は格段に良くなる事は認めるのですが、肝心の音楽的表現やナチュラルな音場は減退すると感じております。
では、解像度が劣ると音楽本来の姿がぼやけてしまいます。
そこで、アコリバ製品の多用が有効となります。
ノイズ、共振、付帯音の対策により解像度は格段に向上し、大切な音楽表現やナチュラルな音像や定位、更に位相まで整います。
周波数の量子化は再生音が細分化されすっきりするだけで、特に質感は悪化するばかりです。
くどい様ですが、あくまで私の持論です。

数か月前に、運命的なCDと出会いました。(86年録音)
アナログ・デジタル平行録音で、スタジオでの演奏を直接カッティング(アナログ録音のデジタル化)です。
そう、あのSTUDIO Dedeと同じ手法です。
これはやはり、デジタル録音の脆弱さを見事に解消する手法だと思いますし、聴き手が納得出来ると信じて止みません。
是非、今度zappa1993さんがお越しの際にお聴き頂きたいCDであります。
ハード・オフでまだ入手可能かと思いますので、ご用意しておきますのでご期待下さい。

現況は、私自身の鼓膜が破れた状態ですので、早く完治して至福のオーディオライフに戻れる事だけを祈るだけであります。

ご期待に添えない内容で申し訳ございませんでした。
zappa1993
投稿日時: 2014/9/7 10:36
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: Stereo Sound No.190号
皆さん
おはようございます。

Stereo Sound誌の例の記事の続きですが、今季号では「特別討論企画」にまで発展しています。
いよいよ最終局面に突入とのことですが、いつから討論企画になっていたのでしょう?

当事者同士の議論だけでは公正な判断が出来ませんし、今回第三者として櫻井氏が両氏宅の音を実際に聴いたのちに、当事者2人を交えての対談になっているのは良いことだと思います。
(もともとは、和田氏が山本氏宅のオーディオの音を聴いて疑問を呈したことから始まった論争ですが、果たして山本氏は和田氏宅の音を聴いているのでしょうか?)

櫻井氏は公平な立場でお互いの良い点を認めておられますし、「まったく違う正反対の方向を目指しているように思われる。そのどちらかが正しく、どちらかが間違っているという事ではないだろう。」と結んでおられます。
「原音再生」というキーワード抜きに、お互いが目指す音を実際に聴けばそのどちらもが優れた再生音を確立されているであろうことは一読者の私にも想像できましたし、予想通りの結末というかそれ以外結びようがないのではないかいう気がします。

両氏の理想や目指すものを考えれば、両氏が選択された再生方法は当然それらを実現するためのものであり、理にかなったもので、お互いに反対の機材の選択はあり得なかったでしょう。
オーディオとは趣味性の高いもので、皆がそれぞれに出したい(聴きたい)音を目指して切磋琢磨し、主である音楽を自分が思い描くような音で聴き、日々感動や発見を得るのが楽しいのだと思うのですが、そうであれば、唯一これが正しいという音はなく、自分が満足する音に酔う事ことができればそれで正しいという考え方も成り立ちます。
ただし、音楽が崩壊したような独りよがりの独善的な音は別ですし、オーディオのセオリーや物理的事象を無視した音作りも感心しません。

今回の対談を読んで強く感じたのは、和田氏が自分の目標とする再生音を絶対的なものだと思い込んでいるという事で、それだけに究極の音だという自負があり、その音を作り上げた(機材の選択やセッティング等)ということに強い優越感を感じているという点です。
要するに自己満足が過ぎて他を悪く言って言うようにしか見えないのです。
音の好みで言えば私も和田氏の目指されている方向に近いのですが、それは万華鏡のように様々な種類の音を出すことが出来ないから一番好みに合う音を目標にしているだけであり、同時に他にも感銘を受ける音はいくらでもあります。
和田氏の考え方には共感できる部分もありますし、本題の「続ニアフィールドリスニングの快楽」を読ませていただくと感受性の豊かな方なのだと思いますので、今後も評論家然としないスタンスでの連載を楽しみにしています。


奇しくも今回の特集は「現代ハイエンドスピーカー その多様なる音楽表現力」となっており、私がグダグダと書くまでもなく、他のスピーカーを含めた評論家先生方のご感想を総合しますと自ずと答えが見えてくるように思います。


そんな事より、名盤深聴の「シンクロニシティ」に関する考察の方が面白かったですし、「デジタル時代の優秀録音 知られざる必聴盤20選」の方が今後の参考になりそうです。
特に後者の記事などはホワイトメタルさんのご感想などもお聞きしてみたいです。


管理人様 : 評論家批判とも取れるような行き過ぎた表現がございましたら削除していただいて構いません。
Yo
投稿日時: 2014/7/6 1:24
一人前
登録日: 2012/3/21
居住地:
投稿: 120
Re: Stereo Sound No.190号
ホワイトメタルさん
zappa1993さん

ご返事ありがとうございます。

お二人の投稿を拝見いたしますとやはり「原音再生」と言う言葉にはそれなりに魅力をもって受け止められていると拝察いたしました。私の世代で昔からオーディオをやっているものにとりましては「原音再生」と言う言葉は「またか?!」と思うと共にかび臭いものを感じてしまう言葉なのですが(私だけかもしれませんが)、お二人のようにデジタルからオーディオにお入りになった方にはそれなりに新鮮で魅力ある言葉なのかもしれません。

何故私がここまではっきりと「原音再生なんてありえない」と言うのは自分自身への戒めでもあるのです。ホワイトメタルさんはたぶん「原音(生音)を無視した音」=「独善的な音」と考えておられると思うのですが、もちろんそれはそれとして正しいことなのですが、反対に「原音(生音)を意識し過ぎることで独善的な音になっている人」も少なくないのです。私が前項で「記憶音に頼って調整しない」というのがそれで、生音の記憶が固定化している人がその音に頼って調整することでバランスを崩して普遍性のない音になっていることも多く経験しているからです。

私が演奏にしろ録音にしろ、何でもかんでも「芸術」と書いたので誤解されているかもしれませんが演奏と同様に録音も良い悪いがあって「低域や高域を強調し過ぎ」「アンビエンスなどの効果をかけ過ぎ」「ソロ奏者のクローズアップが不自然」・・・などいろいろ悪い録音もありますが・・・エンジニアの肩を持つわけではないですが(笑)・・・あの2つのスピーカーから音楽の情報と雰囲気を仔細もらさず再現できるようにとエンジニアが努力した結果がパッケージメディアやソフトなのですから、それをそのまま受け入れて(何も足さず何も引かず:アコリバのコピーのパクリですね:すみません)再生することが普遍性に繋がると言いたかったのです。もちろん機器による差(スピーカーなら能率の差、指向性の差、振動板の材質と大きさの差による質感の差・・・など)が音の違いに出ますし、部屋の差も大きく音に影響します。・・・それで良いのです・・・ふたつとして同じ音はありません・・・ただ音楽が耳だけでなく体や心にまで届くかどうか、その方がずっと大事だ・・・と言うのが私の考え方です。

余計な事を書いたかもしれません。失礼しました。
zappa1993
投稿日時: 2014/6/28 21:28
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: Stereo Sound No.190号
Yoさん
ホワイトメタルさん
こんばんは

返事が遅くなりまして申し訳ございません。


当初紙面では、オーディオにおける音楽再生の取り組み方として、「原音再生」と「グッド・リプロダクション」という二つの考え方について論じられていたように思いますが、一転して「原音再生」の指す意味がすり替えられ、当たり障りのない話に終始してしまったことで、折角の問題提起が台無しになってしまった感は否めません。

強固なジュラルミンエンクロージャーのSPを選ぶか、箱鳴りのある木製エンクロージャーのSPを選ぶかは、出来るだけ忠実に「原音」に近づけたいとする考え方か、例え多少の色付けがあったとしてもそれを含めた音に心地よさを感じられれば良しとする考え方かの違いで、好みの問題も多分に含まれる為、どちらが良いかについてはいくら議論をしても水掛け論にしかならないように思うのですが如何でしょうか?(もちろん最低限の再生レベルに達していることが条件ですが)

私もオーディオ評論家を批判するのが目的ではありませんし、批判できる立場にもありませんので、自分が思ったことを少し書かせていただくことにします。
(Yoさんやホワイトメタルさんの投稿に対する直接の返答になっていない点お許しください)


まず、「原音再生」と「グッド・リプロダクション」のどちらが正しい在り方かと言う2者択一のような選択肢になっていますが、私はここに違和感を覚えます。
私が思うには、「原音再生」は目的或いは目標であり、「グッド・リプロダクション」は行為或いは行動であるからです。
オーディオファンの目標は「原音再生」(ここでは生演奏の再現の意)だけではなく、自分が好みとする音に調整することも目標の一つです。
それらの過程で行うのが「グッド・リプロダクション」であり、これは自身が意識しようがしまいが必ず行っていることで、この行為を否定することは出来ません。
リプロダクションと書くと、何か手を加え作り直しているかのような印象を受けますが、これを適宜目標とする再生音にとって好ましい方向を辿る行為という意味で捉えれば、その先が「原音再生」であってもそうでなくても、行為自体は同じことのように思います。
(リプロダクションの内容は千差万別で、それについては別に考える必要があります)
故に、「原音再生」と「グッド・リプロダクション」のどちらが正しいかと議論しても答えなど出るはずはなく、堂々巡りを繰り返すだけのように思います。

パッケージメディアに閉じ込められる前の「原音」がどの様なものであるかは、我々オーディオファンには分かりませんし、Yoさんが仰るような原音再生の定義(先の投稿の1番)に即して考えると、パッケージメディアが必ずしも「原音」を示していないことになり、また我々が想像する「原音」の種類も無限大であるように思います。
そうであるならば、我々が「原音再生」を目指す行為はなんとも無謀で不可能な事のように思えますが、生演奏を聴いているかのような雰囲気や感動を再生音から感じ取れるようにオーディオを調整することは可能だと思いますし、その為に生演奏を聴いた時の記憶や感動が役に立つことは間違いありません。
最初に申し上げましたように「原音再生」は目標のようなものだと思いますが、これを目指してオーディオに取り組んだからと言って必ずしもそれが達成される訳では無く、逆に「原音再生」を特に目指していなくても、これまでに聴いた生演奏の記憶を頼りに自分の理想とする音を追い求めた結果「原音」を彷彿させる様な再生音になることもあり得ます。
何れにしても、「原音」と思われる再生音が達成されたときに最大級の理解や感動が得られるという例は十分に考えられますし、私も出来るだけ変な色付けは排除したいという考えを持っています。


2月ほど前の話ですが、十数人しか入れないような小さなギャラリースペースに、アコースティックギターの弾き語りライブを聴きに行きました。
アーティストとの距離は2mほどしか無く、また、立って移動しながら演奏するためもっと近づく事もありました。
私は椅子に座って聴いていたのですが、ギタートップの向く方向によって随分と音が変わることを意識し、興味深く感じました。(分かり切ったことなのですが、この時はそれが妙に気になったのです)
トップ面がこちらを向いている時は一番大きな音がし、ギターの音色も響きが豊かで生演奏の醍醐味が感じられますが、トップ面の向きが少し変わるごとに大きく聴こえ方が変化します。
音だけを比べれば、ギターの向きによって随分と違いがありますし、トップ面がこちらから殆ど見えないような時はハッキリ言ってあまり良い音としては耳に届きませんし、録音物がこの様な音なら悪い録音となるでしょう。
しかし、その場で生演奏を聴いていれば、例えギターがどんな方向を向いていようが、どの様な音として聴こえようが、ギターの演奏を聴いているという意識には変わりがなく、「これはギターの音ではない」等と思う事は一度もありませんでしたし、演奏を楽しめなくなるという事もありませんでした。(流石にずっと背を向けて演奏されれば欲求不満になったでしょうし、大きなホールで聴くクラシックなら聴く位置によっては酷い演奏に感じることもあると思います)
以上は全くもって当たり前の話なのですが、これが録音物(パッケージメディア)の音質、或いはオーディオ装置での再生音に置き換えて考えてみますと、必ずしもそうではないような気がします。
例えワンポイントマイクで録音されたものであっても、マイクの位置によって録音物の音は変わりますし、これは演奏者と観客(+空間)の位置関係と同じです。
レコーディングエンジニアは経験と勘、そして自らの感性によりベストと思われるマイクセッティングを行いますが、それとて無数にあるポイントそして音の一つでしかなく、どうしても録音の良し悪しが生じてしまいます。
優秀録音盤は聴いて楽しむことができるが、それより劣る音質の盤を楽しむことができないことがあるのは、どうしてなのでしょうか?
  次に、オーディオでの再生に目を向けますと、再生環境によっては本来の楽器の音色からかけ離れた音になる事もあります。
「薄っぺらい」「キツイ」「膨らんでいる」等々表現は色々とありますが、生で聴く音との違いは明白で、生音ではあり得ないような要素を含んでいることもあります。
何故そうなってしまうのでしょうか?
そして、私が一番問題にしたいのは、多くの場合、生演奏であれば例えどのようなバリエーションの音でも同じ楽器の音色として感じ取れるのに対し、パッケージメディアを通じオーディオで再生した音では必ずしもそうではないという事です。
「生のギターはこんな硬い音ではない」「本当のバイオリンはこんな耳に刺さるような音ではない」等の表現はしょっちゅう見聞きしますし、私もそう思う事があります。
そもそもオーディオでの再生は、電気信号に変換された音を再びSP等で音波に変換して聴くわけですから、ロスや変調があるのは致し方ありませんし、音の変化が避けられないことは理解しています。
それでも、先に書いたような生音との違いや不快さを感じるということは、それだけ生音との隔たりがあるという事に他なりませんし、オーディオ再生の難しさを物語っているように思います。
言うまでもなく視覚的な要素は多分にありますので、生演奏を見ながら聴く音と、イマジネーションを膨らませて聴く抽象的な音とで、感じ方の違いがあるのは想像できます。
ですが、その違いを差し引いたとしても人間の聴覚というものはどの様にして微妙な音の違いを聴き分けているのか、どこに本物らしさを感じ取るのか、或いは本物に近くなくても良い演奏と感じる要素は何なのか、考え出すと切りがありません。


趣味としてオーディオを楽しむという事は、再生音の美しさや音楽から感動を得たいという思いがあることが前提だと思いますし、人それぞれに思い描く理想の音があると思います。
色々と理屈をつけて「良い音」を語ることはできますが、真に良い再生音と言うものは理屈抜きに感動できるものですし、そこには必ずしも「原音再生」という文言は必要ありません。
結果的にそれが「原音」に忠実な再生だったのかも知れませんし、或いはそうでは無かったのかも知れません。
「原音再生」は理想ですし、私もそれを否定しませんが、もし前述した再生音が後者だったとしてもその再生音の価値が下がるものではありませんし、寧ろそうした再生が可能だという点にオーディオの素晴らしさを感じます。

なんとも取り止めのない文章になり申し訳ございません。

ホワイトメタル
投稿日時: 2014/6/19 23:46
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: Stereo Sound No.190号
YO様

こんばんは
書き逃げと卑怯な手段をとったにも関わらず、ご丁寧に返信を頂き有難うございます。
そして、大変解りやすくご説明頂いた上に、余計な御時間と御手間をおかけした事に謝罪と感謝を申し上げます。

YOさんが仰います、「芸術の積み増し論」を大変興味深く拝見し、そして真摯で正論なお考えである事が理解出来ます。
「作曲の芸術」、「演奏の芸術」、「録音の芸術」、「再生の芸術」と述べられておられます。
作曲家と演奏家は広く芸術家として万人に認知されておりますが、録音と再生は芸術として広く認知されておりません。
しかしながら、録音(エンジニア)に芸術的要素、再生側にも芸術的要素が備わると、より深淵な世界観が生じる事は大切な要素です。

>「ゲルギエフの芸術」をキャンセルして「ストラヴィンスキーの芸術」だけを味わう

私にはストラヴィンスキーと言う偉大な作曲がいて、ゲルギエフと言う偉大な指揮者がいる事で初めて芸術を体験出来ましたので、ゲルギエフをキャンセルすると申し訳ございませんが再生には繋がりません。

エンジニアの方々は、厳しく辛く長い下積み時代を経てから一流の音楽家や奏者と出会い録音を行い、自らの経験や技術を駆使して録音物と言う作品を完成させます。
YOさんが仰る様に、エンジニアの意図を理解できるように再生する事を心がける事で、ジャンルの違いや録音の違いがあっても普遍性が生じるものと解釈出来ます。
しかし残念ながら、エンジニアの意図を理解出来ない作品が存在します。
これは殆ど場合、ある程度な感性が備わってさえいれば原音(生音)とかけ離れている事を察知して偽の違和感を感じているものだと私は考えております。

マイクについても触れられておりますが、1つの楽器をオンマイクで録ってデジタル加工していない録音は、音像が大きく実在感があり細かなニュアンスや息遣いまで収録されていて、息を飲む様なリアル感さえ体感出来ると思います。
オフマイクの場合は、少し離れた位置から冷静に楽器と対峙出来る様な感覚を得る事が出来ると思います。
オーケストラ録音においてもマイクセッティングの妙で聴こえ方は様々で好みが分かれますが、過度なコンプレッサーをかけたりディレイやリヴァーヴなどの多用で音楽の本質を掻き消してしまう場合もあります。
但し、私の場合はどんな方法を駆使してでも生音にさえ近づいていれば何ら否定もしません。
シューボックス型ホールとワインヤード方式ホールでは全く響きや質感、そして音場が決定的に違います。
その様なホール特性や指揮者の意図、オーケストラの特徴やキャラクターを的確に判断して収録された録音物は素晴らしい出来栄えに繋がると思います。
そして、いつもコンサートへ出かける際は可能な限り各会場、とびきり響きの良いとされている席をとれる様に努力をしております。

>私の知人でクラシックの造詣が深く多くの名盤も揃えスコアで勉強もされている方ですが、その方の音を聴かせて頂いて通常以上の厳しいヴァイオリンの音に驚いたことがあります。よく聞くとかつて学生オーケーストらの一員で有ったとの事、その至近距離で多くの楽器が鳴り響く感動をもう一度聴きたいとのこと・・・なるほどと思いました。同じようなことは一関のジャズ喫茶ベイシーにVPOのメンバーが遊びに来たときに彼らの演奏したレコードを大音量でかけたら「これこそ我々がいつも聴いている音だ」と喜んで盛り上がったと言う話もあります。

これらの御話、素晴らしい内容ですね。
私の場合お笑いのアマチュアエレキギターですが、少年期〜青年期にかけてスタジオでバンドの練習を数百回程度行っていた時期がありましたが、そもそもが歪系や空間系のエフェクターかけまくりのハードロックですので、少々感覚が異なりますが狭い空間で演奏をする側の快感は、音の良し悪しよりも自ら奏でた大音量に主観的に向き合って模索している感覚みたいな感じです。
そう考えると、再生側(リスナー)は気軽で贅沢な感覚に浸れると思います。

再生側は十人十色全く異なる人生を歩んでいて、音楽に精通する職業の方やその正反対で全く音楽とは無縁で楽器の演奏経験やコンサートにさえ出かけない方々も沢山おります。
でも、素晴らしい再生音を出している方々も相当数おられる事と推測されます。
この掲示板の常連さんはですが。

YOさんが仰る再生の芸術に至れる場合は、エンジニアの意図や音楽全般の豊かな経験、オーディオにおける使いこなし術や理想的な環境、電気工学などの理論の習得、自身の芸術的な感性が備わっていなければ芸術の域に達する事が出来ないのでしょうね。

zappa1993さん、突然割り込んでしまいまして申し訳ございませんでした。

それでは、失礼致します。





Yo
投稿日時: 2014/6/18 20:56
一人前
登録日: 2012/3/21
居住地:
投稿: 120
Re: Stereo Sound No.190号
ホワイトメタル様

ご返事ありがとうございます。「書き逃げ」と仰っているのに追いかけるような真似をしては失礼かと思ったのですが、多少の誤解があるようなので少しばかり書かせて頂きます。

まず、前項で述べさせて頂いた「芸術の積み増し論」は以前音楽の本質を自分なりに考えたときとても便利な考えだったので披露させていただきました。「作曲の芸術」「演奏の芸術」そして「録音の芸術」が存在するということです。 ここですべて「芸術」と書きましたがもちろん芸術域に達しないものも多々有ることも事実ですが、すべてが芸術粋に達した時に名盤が生まれると考えています。そして「録音の芸術」が存在するなら「再生の芸術」も有って良いのでは?という簡単な気持ちから出たものです。

ホワイトメタルさんが生で聴かれて(うらやましい)感激されたゲルギエフの春の祭典を例にとらせていただくと、「ゲルギエフの芸術」をキャンセルして「ストラヴィンスキーの芸術」だけを味わうことが出来ないのと同じように、パッケージメディアから「録音の芸術」をキャンセルして生の「原音」を再生(回帰)することは不可能だ・・・と言うのが私の考えの基本です。あくまで「録音の芸術」を受け入れた上で自然な質感、エネルギー感、そして自然なプレゼンスを求めて調整することが「再生の芸術」に繋がると思っているわけです。

 私の再生を「原音再生とは少々異なる種類の再生音なのだど勝手ながら解釈しております。」との事、上記の通り原音再生を求めていないのですから仰る通りだと思いますし、その事には反論はいたしません。ただ、記憶音に頼って調整はせずに低音から高音までのエネルギー感を揃える事だけを主目的として調整することで結果としてエンジニアの意図(録音の芸術)を理解できるように再生することを心がけており、そのことが普遍性(ジャンルの違いや録音の違い、そして録音の時代に得意不得意がないこと)に繋がり、その延長線上に「再生の芸術」があるものと思っています。

何が「原音(生音)」か?・・・このことはとても難しい問題だと思っています。BlueNoteのヴァンゲルダー録音とて極めてオンマイクで録ったものゆえに、通常のライブ演奏で聴くより太くエネルギッシュな音として自然ではないと言えますが、現代のようにデジタル加工で音質まで変えたものではないだけにある意味「原音(生音)」に近いと言えます。何が言いたいかと申しますとマイクの位置で録音された音が変わります。そして同じように楽器とリスナーの位置関係や環境でも原音(生音)のイメージが変わるのです。そしてその際たるものがクラシックだと思っています。

ご承知のようにヴァイオリンは弦を擦って発音する楽器ですので近距離や狭い部屋での演奏はかなり荒く厳しい音が聴こえます。しかしこれを響きの豊かな大ホールで奏者から距離を取って聴きますと甘く漂うような美音として聴こえます。クラシック音楽を好む人でもどちらが好きかは大きく分かれるところです。そして多くの録音は指揮者の少し後ろの上方にマイクをセッティングして録音し、別マイクで録ったホールトーンをブレンドするのが一般的と理解していますので音的には前席で聴いた音に近いと思っています。私はヴァイオリンの厳しさも聴こえたほうが生々しいと感じるほうですので前席が好きですし一般的な録音にあまり違和感は感じません。しかし比較的後ろの席や2階席を好まれる「弦の荒さは聴きたくない」と言う方も多く、多ユニットのシステムで位相を混濁気味にしてその雰囲気を出したり、デジタルディレイを駆使してホールトーンを合成してプラスしたりとご苦労されている方もいらっしゃいます。もうひとつ特殊な例ですが、私の知人でクラシックの造詣が深く多くの名盤も揃えスコアで勉強もされている方ですが、その方の音を聴かせて頂いて通常以上の厳しいヴァイオリンの音に驚いたことがあります。よく聞くとかつて学生オーケーストらの一員で有ったとの事、その至近距離で多くの楽器が鳴り響く感動をもう一度聴きたいとのこと・・・なるほどと思いました。同じようなことは一関のジャズ喫茶ベイシーにVPOのメンバーが遊びに来たときに彼らの演奏したレコードを大音量でかけたら「これこそ我々がいつも聴いている音だ」と喜んで盛り上がったと言う話もあります。

ホワイトメタルさんが「CDの音が生音と違う」と仰る所以は上記の質感だけとは思いませんが、原音(生音)のイメージも人それぞれであること、そして一定ではないことをご理解頂ければ幸いです。
失礼いたしました。
ホワイトメタル
投稿日時: 2014/6/15 14:53
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: Stereo Sound No.190号
zappa1993さん、ケミさん、YOさん

こんにちは

今回のテーマであります、「原音再生」「グッド・リプロダクション」について私なりに考えてみましたので、烏滸がましいのは承知の上参加させて頂きます。
因みに、SS誌NO.190、191号の記事には目を通しておりませんがお許し下さい。
何故ならば、zappa1993さんのご投稿の内容で和田氏と山本氏の言わんとしている事が何となく解ったからであります。

基本的に我々がオーディオを長年続ける理由として、良い再生音?それとも再生されたものの複製として捉えるのか?=グッド・リプロダクション?を目指して夢中になっている事が前提かと思います。
その根底として脳裏に焼き付いているのが、原音再生=生演奏や生歌の記憶が潜在して、その記憶を頼りに再生装置や電源などのアクセサリー類、そしてパッケージメディアの音源を利用して日々音楽に浸っている事だと信じております。

ハイエンドなオーディオは一般的な庶民の趣味としては大変高額な費用が必要とされ、ごく僅かな人しか所有出来ない趣味かと推測されます。
但し、300万円程度の車を購入するのを我慢してオーディオに捻出出来る覚悟があれば、相当レヴェルの高いオーディオライフを満喫する事も可能なのも事実かと思います。
当然、そのレヴェルに相応しい環境(調整されたリスニングルーム)も必要とされる難しい分野でもありますが。
いち早く正しい再生音に近づく事を可能に出来るのも自身の確かな聴覚と素直な感性が大前提の様に思いますが、雑誌やインターネット等の情報や評論家の評価を信じて導入して泥沼に嵌るケースも少なくない稀有な分野でもあります。

パッケージメディアについては、各レーヴェルそれぞれの録音方式や方法が存在して一概にどのレーヴェルとエンジニアが優れているかは判断し兼ねますし、同一の会場と指揮者とオケで録られた同曲でも良く録れている場合と良く録れていない場合があります。
その様な感覚を感じ取れるのも、生音の記憶に基づいて脳が判断しているものと思われます。
有名な優秀録音盤で、PHILIPSから発売されたCD、ゲルギエフ指揮:キーロフ歌劇場管弦楽団(現マリインスキー)の【春の祭典】1999年録音では、当時このソフトを聴いた時の所感としては荒々しい質感と大味で大胆な解釈でオーケストラをドライヴする指揮で、現代を代表するカリスマ指揮者の醍醐味をパッケージメディアで堪能しておりました。
しかしながら、生演奏とは異なる感覚は払拭出来ませんでした。
その数年後、某評論家が東京のオーディオショウで同ソフトを600万円強のSPで再生した瞬間、これは異次元でしか体験出来ない極めて機械的な人口音としてしか感じ得る事が出来ませんでした。
その数年後、同指揮者、同オケ、同プログラムで実演の機会に恵まれましたが、全く正反対で華麗でしなやかな質感と美音、洗練された表現、ピアニッシモとフォルティシモのコントランスを大胆且つ絶妙にドライヴするカリスマ指揮者の本領を心の底から満喫出来ました。
オーケストラでヨーロッパトップ3と言われているロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団では、近年RCO LIVEの一連のCDが優秀録音盤として評論家の評価が高いものがあります。
残念ながら、一度たりとも良いと思った事がなく、パッケージメディアで培われてしまった固定観念でロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団が世界屈指のオケだとは信じがたく、今年来日公演が予定されていましたので、思い切って妻とコンサートへ出かけました。
所感は、パッケージメディアとは全然違うではないか!と、またしても再認識出来ました。
この個性的なオケの音色をオーディオで再現する事が果たして可能なのだろうか?
良い意味での悩みの種が増えました。

やはり、原音再生=生演奏に限りなく近づけなければ感動は得られないのだと、個人的には確信しました。

YOさんが仰る再生の芸術ですが、大変失礼かと思い何度となく躊躇いましたが、原音再生とは少々異なる種類の再生音なのだど勝手ながら解釈しております。
ヴァンゲルダー録音のテナーサックスの再生音が、実際の生演奏より太い音だったけどその名声を失わなかったと言うお話はオーディオマニア的な内容で実に興味深いと思います。
日本人のジャズ再生においての哲学は、並々ならぬ拘りを感じます。
伝統の様に受け継がれているのだと確信出来ます。
生演奏(原音)よりも膨よかな音像、レトロ感溢れる音場、芳醇な質感、生演奏のタイトで柔らかく、すーっと抜ける音とは少々異なる再生音だと勝手ながら解釈しております。
私には再生の芸術まで達する費用と技量と哲学はありませんし、これ以上持論を曝け出す事は不可能になってまいりましたので、大変失礼ながら書き逃げと言う形で終わりにさせて頂きたいと思います。

申し訳ございません。

それでは、失礼致します。


Yo
投稿日時: 2014/6/12 17:03
一人前
登録日: 2012/3/21
居住地:
投稿: 120
Re: Stereo Sound No.190号
zappa1993さん

ステレオサウンド誌の和田氏の問題提起に関する書き込みを拝見しました。
私は190号の時から和田氏の意見には疑問を感じていましたので、191号に到っては(微妙に論旨も変わってきているように感じます。)zappa1993さんと同じ気持ちと言うよりは、今後和田氏が意見の落しどころをどのようにうまくまとめられるのか心配しているところです。

ここで和田氏の意見の反論を書いても誹謗中傷となってはいけませんので、私の音楽再生に関する意見を書かせて頂きます。

1. かつて議論された「原音再生」について
このテーマはかつて70〜80年代に活発に議論されたことで下記のように収束したと理解しています。
「原音再生とはオーディオ録音再生機器の能力として、単一楽器(バイオリンなど)を単一マイクで録音し、楽器のあった場所にスピーカーを設定して再生した場合のみ可能」
つまり下記にも述べますが複数のマイクで録音されたものをミキシング、マスタリング加工したものはたとえマスターテープであっても原音とは言えないことと、同じ環境での再生でないと原音再生とは言えないということだと思っています。

2. パッケージメディア(レコード、CDなど)を目的とした録音について
 これに関しては「クラシック音楽で楽譜が同じであるにもかかわらず、演奏家が違えばまったく違う音楽になってしまう。」と同じと考えます。つまりその曲の解釈と表現方法によって変わると言う意味で、録音においてもプロデューサー、エンジニアのその音楽の理解とパッケージメディアにした場合の表現方法によって音も変わる・・・と言う意味です。
 かつてジャズ界で東のヴァンゲルダー(Blue Note, Prestige他)、西のロイ・デュナン(Contemporary)と言われた2大レコーディング・エンジニアが居ましたが、二人が録音したソニー・ロリンズのテナーの音がまったく違うと話題に上りました。人気としてはヴァンゲルダー録音のほうが高かったのですが、ロリンズが初来日の折ライブでの音が「ヴァンゲルダー録音のような太い音でなくてがっかりした」という意見が出たという笑えない話があります。結局自然さという意味ではロイ・デュナン録音に近かったのですが、だからといってその後ヴァンゲルダー録音が名声を失ったという話は全くありません。クラシックの録音においても英デッカ、ドイツ・グラムフォン、オランダ・フィリップスの音は今のデジタル時代においてもそれぞれの音の特徴があってそれも楽しみの一つですし、皆同じ音になってしまってはつまらないのも事実ではないでしょうか?

3. パッケージメディアの再生について
 これに関しては「同じ楽器を同じ演奏家が演奏しても演奏場所によってイメージや音が変わる」のと同じと考えます。これは音と言うのはその場所の音響特性に左右されると言うことで、オーディオの場合同じシステムの再生装置でも部屋が違えば音が変わるのは当然です。ましてやシステムが違えば同じ音などありえません。私たちオーディオを趣味としている者は与えられた部屋でその部屋の音響特性と折り合いをつけながらシステム調整をしていますが、目的は「音楽に感動したい」ということです。もちろん声や楽器の自然な質感とエネルギー感が再生できなければ普遍性は生まれません。また再生の音量設定でも音楽のイメージが変わります。

以上のことからの私見ではありますが、例えばモーツァルトをカラヤン=ベルリンフィルで(生で)聴いた場合、それはモーツァルトの芸術にカラヤン=ベルリンフィルの芸術が乗ったものを聴いている訳で、さらにそれがパッケージメディアになった場合はさらにプロデューサー、エンジニアの芸術が乗ると思っています。 さらにそれを再生して素晴らしい音楽世界を表現出来たならそれは「再生の芸術を加味して聴いている」と言っても過言ではないと思います。我々オーディオマニアが究極に目指すところはまさしく再生の芸術であって、生の「原音」への回帰ではないと思いますが、如何でしょうか?
zappa1993
投稿日時: 2014/6/5 0:29
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: Stereo Sound No.190号
皆さん
こんばんは

前季号のSS誌の連載記事「続ニアフィールドリスニングの快楽」を読んで考えさせられるものがあり、その後の展開がどの様なものになるのか興味を持って今季号(No.191)を手に取りました。

残念ながら、個人的には詰まらない内容でした。
「原音再生」だ「グッド・リプロダクション」だと言いながら、結局のところSPの好みに根差した会話でしか無く、建設的な議論だとは感じられませんでした。
まず何より、和田氏の「原音再生」で目指すものが、“マスターテープ”の音ではなく、“生の音”であったことに驚きました。
そんな流れでしたっけ?

オーディオを趣味としておられる方の多くは、究極の理想として「生演奏の再現」を心のどこかに持っておられると思います。
もちろんそれが可能であるかどうかは別として。
逆に言えば、生音とかけ離れた音を目指した音作りをしている人が果たしているでしょうか?

オーディオは各々が自分の理想とする音作りを目指して、機器選びやセッティング等を工夫するところが面白いのであり、たった一つの正解などありません。
自分の出したい音に合わせてSPを選択するのは至極当然のことで、故に市場には色んなSPがあります。(パーフェクトなSPが存在しない為でもありますが)
オーディオファン同士の会話ならいざ知らず、オーディオ評論家が紙面を使ってまでするような内容では無かったように思います。
問題提起をし、今まで誰も面と向かって言わなかったような事と向き合い、その中からオーディオのニュースタンダードともいえるような思想が生まれればと期待しましたが、どうもそうではなさそうです。


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