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     秋の夜長に・・・
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投稿者 スレッド
zappa1993
投稿日時: 2014/11/3 21:40
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 秋の夜長に・・・
ホワイトメタルさん
こんばんは。

お返事ありがとうございます。
同じCDで思いを共有できたことを嬉しく思います。
このCDは、聴き始めた瞬間から私が思い描いていたような作品であることが分かり、数曲聴いただけですっかり引き込まれてしまいました。
仰るように高音質を謳ったCDの中で音楽の良さが伝わってくるものは意外と少なく、買わなきゃよかったと思う事もしばしばです。
ホワイトメタルさんもお感じになられたように、この作品は質感が自然で音楽が心地よく胸に響いてくるのです。
音楽とは本来こういうものでは無いでしょうか。(ジャンルや曲調によっても多少の違いはありますが)
その良質の音楽をこれ見よがしな高音質(音の輪郭をはっきりさせ過ぎたり、特定の帯域を持ち上げたり)では無く、自然な質感という忘れられがちな所が大切にされている点が素晴らしいと思います。
だから私は、人によっては地味で退屈な作品に思えるのではないかと考えたのですが、気に入って頂けて良かったです。
私はtrack.11のアリア「私はしばしばパイプによいタバコをつめて」が好きで続けてよく聴きましたし、track.9や13等のアリアやtrack.2等のコラールにも聴き惚れてしまいます。
声は最高の楽器ですね。
逆にメヌエット等の耳馴染のある曲の方にあまり魅力を感じないのは何故なのでしょうか・・・。

余談ですが、音楽の良さはどんな再生装置で聴いても分かると言われることがあります。
ラジカセで聴いても、ミニコンポで聴いても、ハイファイオーディオで聴いても音楽の良さは伝わるというものです。
私もこの考え方には賛成ですが、どの再生装置でも音楽の良さが同様にすべて伝わるとは思いません。
また別の考え方として、再生装置が良くなればなるほど音楽の良さが伝わるというのもあります。
それぞれは相反することを言っているわけでは無く、その音楽が「良い」か「悪い」かはどの再生装置で聴いても分かるが、その音楽の「良さ」は優れた再生装置で聴くことでより一層分かると私は理解しています。
(音楽は良い悪いと単純に決められるものではありませんが、ここでは敢えてそう書かせていただきます)

このCD(アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳 第2巻(1725年)より(品番:ESSW-90067))は主に後者の考え方の典型的な例ではないかと思います。
メロディやアンサンブルの美しさはどの様な再生装置で聴いてもある程度分かると思いますが、良く調整されたオーディオで聴くことでこの作品の良さが際立ってくるように思います。
私はオーディオの調整をする中で、定期的にこのCDを聴きますが、シンプルな演奏が故音質の向上がとてもよく分かります。
ホワイトメタル
投稿日時: 2014/11/8 23:42
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: 秋の夜長に・・・
zappa1993さん、こんばんは

いつもお世話様になります。

音楽の父と呼ばれているバッハのCD作品で共有意識を持てた事は、音楽の基本(原点)へと立ち帰れて背筋がピンと伸びる思いがして大変嬉しく思います。
J.Sバッハが没して250年以上経っているわけですが、現在に至っても世界中で頻繁に演奏されています。
言い換えますと、バッハは西洋音楽の土台を築き上げ、その後の偉大な作曲家の模範的な存在に位置づけられます。
この様な作品をオーディオで如何に冒涜せずに再生する事は、作品への畏敬の念を根底におき、純粋且つ素直な感性を一定に保つ事が前提だと思いますし、凄みばかりのはったりめいた超ハイファイ調の再生音や過度な音量は、もはやバッハではなく偽造されたバッハになりかねません。
何もバッハに限らず、G.F.ヘンデルやルネサンス期の作曲家にも該当しますし、総合的且つ冷静に考えますとクラシック音楽全般に該当すると思われます。

そこで本題に移りさせて頂きます。

zappa1993さんが述べておられる

>音楽の良さはどんな再生装置で聴いても分かると言われることがあります。
ラジカセで聴いても、ミニコンポで聴いても、ハイファイオーディオで聴いても音楽の良さは伝わるというものです。
私もこの考え方には賛成ですが、どの再生装置でも音楽の良さが同様にすべて伝わるとは思いません。
また別の考え方として、再生装置が良くなればなるほど音楽の良さが伝わるというのもあります。
それぞれは相反することを言っているわけでは無く、その音楽が「良い」か「悪い」かはどの再生装置で聴いても分かるが、その音楽の「良さ」は優れた再生装置で聴くことでより一層分かると私は理解しています。

こちらのご意見は大変興味深く拝見させて頂きました。
私の場合、もっと最悪で安価なカーステレオ(標準装備)で走行中に聴く再生音と、自身のシステムとで優秀録音CDの真価を問う事があります。
不思議と共通して同等の評価を得られる場合が多いのです。
明らかに、ある程度調整した自身のシステムと環境の方が当然優れた再生音に感じるのは当たり前ですが、カーステレオの場合でも再現性の乏しさ、騒音、位相などは無視して考え、帯域バランスや質感を重視しますと不思議に共通して良いと思える場合があります。
結果、あくまでも私見ですが優秀録音CDはどんな再生装置でも共通して良い音だと認識しております。

困った問題はここからです。
最近、以前優秀録音CDやLPとして愛聴していたソフトが、聴くに堪えない程に酷く感じてお蔵入りになるケースが増えております。

以下は当時実家で組んでいた頃のシステムと環境です。
SPはメーカーが違い現在より下位モデル、プリ、パワーアンプは現在と同じ、CDPはメーカーが違い現在より下位モデル、アナログプレーヤーは現在と同じ、フォノイコアンプは現在と同じ、アコリバ使用製品は電源ケーブル全てPOWER REFERENCE、ラインケーブル全てRCA-1.0PA、CDPとアナログプレーヤーとSPのスパイク(特注)にRIQ-5010、電源BOXはevolution、PSA-100、SIP-8Q、FCS-8、RD-3。
部屋の広さは9帖と現在より広さはありましたが、ルームチューニングは特に施しておりませんでした。(普通の家庭的な部屋でベッドも置いてあり、正にデッドです)
所謂、中途半端なアコリバ化と部屋の環境、SPとCDPも中級機以下と再現性が物足りないかと思われます。
勿論、機器や環境の調整不足も決定的に再生音を向上させない要因でもあります。
但し、アコリバ製品の導入で格段に再生音が向上した記憶は間違いありません。
その様な状態での再生音は、質感豊かで帯域バランスも悪くなく大きな不満もありませんでしたが、ノイズ、共振、電磁波、ルームチューニングを怠る事が要因で、明らかに音場の狭さ、解像度、純度、鮮度、密度に欠ける事は否めませんでした。
只、オーディオ雑誌等で推奨していた優秀録音盤(最新版)を購入しますと、素直に良いと感じ得る事は多々ありました。

では、何故以前気に入っていた優秀録音盤が現在のシステムと環境化ではお蔵入りになってしまったのでしょうか?
録音がただ単に悪かっただけだと思います。
システムと環境の向上、アコリバ製品導入の進捗により情報量と再現性、質感が格段に向上した事により、間違った優秀録音盤の帯域バランスが劣っている録音や劣悪な質感、歪が酷い録音物の悪い部分が際立つ様になり、折角の極上の指揮者やオケが台無しに感じる録音物が明確になってしまったのです。
その代わりに、以前は何とも思っていなかった真の優秀録音盤が極上の再生音へと生まれ変わり、元来の目標である生音に限りなく近づける事が可能となりました。

結論を言わせて頂きますと、中途半端に良い再生音は一番癖が悪く、良い部分も悪い部分もマスキングされる事で音楽本来の核心を鈍らせ、感性をも脅かせます。

オーディオを続ける理由は、音楽を深く理解し感動できる心構えが常に持ち併せている事が必須で、高級機の所有欲や虚勢などは人口再生音へと墜落してしまう危険性があると思うのです。

私自身もアコリバ製品の導入率が増えるにつれ、お陰様で理想郷へと近づいておりますので感謝の念に堪えません。

ひたすらに純真で素直な気持ちは、音楽の分野だけには忘れたくありません。
zappa1993
投稿日時: 2014/11/9 12:12
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 秋の夜長に・・・
ホワイトメタルさん
こんにちは。

興味深いお話ありがとうございます。
オーディオとは奥の深い世界で、単純に音が良い悪い等という言葉だけで語れるものではありませんね。

>私の場合、もっと最悪で安価なカーステレオ(標準装備)で走行中に聴く再生音と、自身のシステムとで優秀録音CDの真価を問う事があります。
不思議と共通して同等の評価を得られる場合が多いのです。
明らかに、ある程度調整した自身のシステムと環境の方が当然優れた再生音に感じるのは当たり前ですが、カーステレオの場合でも再現性の乏しさ、騒音、位相などは無視して考え、帯域バランスや質感を重視しますと不思議に共通して良いと思える場合があります。
結果、あくまでも私見ですが優秀録音CDはどんな再生装置でも共通して良い音だと認識しております。

私も車に乗ると常に音楽が鳴っている状態ですので、音楽を聴く時間の多くはカーステレオと言うことになります。
カーステレオでの音楽再生については、書きたいことが有り、一度書こうかと考えたことがありましたがそのままになっていました。
私は、音楽はオーディオルームだけでなく、カーオーディオ等でも聴いた方が良いと思います。
というのは、何時もと違うオーディオ機器で音楽を聴くと普段気付かないような事や音に気付くことが有るからです。
そして音楽を聴く楽しさは同じですし、オーディオルームで分析的な聴き方をしているより楽しめる事さえあります。
(と言うより音楽が好きならばどこででも聴きたいと思いますよね)
カーステレオはタイムアライメントの問題があり、とてもまともな音で鳴っているわけでは無いのですが、音楽の良さは十分分かると思います。


>結論を言わせて頂きますと、中途半端に良い再生音は一番癖が悪く、良い部分も悪い部分もマスキングされる事で音楽本来の核心を鈍らせ、感性をも脅かせます。

ホワイトメタルさんが仰るのにも一理あると思います。
本来の優秀録音とは「良く聴こえるように」作られたものでは無く、「良い音で録音された」ものだと思うからです。(非常に大雑把な表現で、もちろん両方が必要ですが)
良い音で録音された作品は、それを最も自然な形で再生することで、演奏本来の良さが伝わりますが、歪なオーディオ(バランスの悪いCD等で調整したシステム)で聴くと演奏も歪められて良さが伝わり難いように思います。
逆に良く聴こえように過度に作られた作品は、自然な再生を心がけると、歪な帯域バランスで音圧も異常に高く、演奏の良さがないがしろにされていることもあります。
昨日は大阪のハイエンドショーに行ってきたのですが、オーディオ評論家自らが、「最近の録音はプアな(とは言っていませんが)オーディオで聴くことを前提に作られているから、不自然な帯域バランスで、ピュアオーディオではまともに聴こえない」と言うようなことを言っていましたし、その不自然な録音と思われる作品群をデモに使っている上記とは別のオーディオ評論家のイベントは酷い音を出していました。(機材自体は良い筈なのですが・・・)
そういう録音作品は特に最近の若い方が聴く音楽に多いように思いますし、それらを聴く用に調整したオーディオは不自然な部分をマスクし、正しい帯域バランスでは無いように思います。
録音の良し悪しを評価する側が(一部の評論家を含めて)この状態なのですから、そこで推薦される優秀録音盤が本来の意の優秀録音であるかどうかは実に怪しいものです。

それらの事情とは別に、同じ作品でもルームアコースティックにより印象が変わることもよくあります。
これは私も何度も体験していますし、ホワイトメタルさんも実家との違いにこれを挙げておられます。
久しぶりに聴いたCDに「これ程良い音だったのか」と驚くことがある反面、その良いと感じたCDを期待して聴くと「前はもっと良い音だったのにな」と感じることもあります。
そして、調整を詰めていくうちに、また同じCDに最初に感じた音の良さを再確認したりします。
ご存知のようにルームアコースティックで再生音の帯域バランスは変わりますし、ピークやディップの出方も変わります。
これらの複雑な要素で、録音の悪い部分をマスクしていることもありますし、本来それ程良い録音では無いのに良く聴こえると言うこともあります。

段々とホワイトメタルさんの結論からずれてきたような気もしますが、私もそのお考えに賛成です。
中途半端な良い音に満足してしまうと、そこから中々抜け出せないと思いますし、探求心も失ってしまいます。
しかし世間で評判の良いオーディオ機器やアクセサリーを鵜呑みにして、自らの感性を磨くこと無しにこれらを導入し、その音に満足しているとこのような事になりかねません。
更には録音の本当の良し悪しさえも分からなくなってしまいます。
非常に厳しく、反感を買うような事ばかりを申し上げましたが、言わんとすることは多くの方にお分かりいただけるのではないかと信じています。

zappa1993
投稿日時: 2014/11/25 22:50
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 秋の夜長に・・・
ホワイトメタルさん
皆さん
こんばんは。

すっかり秋も深まり紅葉も今が見頃のようです。
先週末は、豊臣秀吉が花見をしたことで有名な醍醐寺の山(上醍醐と言い、山頂には国宝や重要文化財の建物があります)を往復2時間ほどかけて一人で気ままに登ってきました。
気ままと言いましてもかなり険しい山道で、運動不足の身にはこたえます。
春の桜も良いですが、秋の紅葉もまた風情があって良いものですね。


(綺麗でしょう。自画自賛


先日のオフ会の投稿にも書かせていただきましたが、管理人Kさん宅で聴かせていただいた「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」の初盤CDの音が素晴らしく、この美しく感動的な音はAVALONのシステムだから出せるのか、それともCD自体の音が良いのか非常に気になりました。
もちろん管理人Kさん宅のオーディオが並はずれて良い音であることは十分承知していますが、今までの経験から初盤のCDという部分に強く魅かれ、早速中古品で手に入れました。(抜かりなくドイツ盤の初盤です)


ホワイトメタルさん是非これを聴いてください!
この作品を気に入った方なら、言葉では表しきれないこの作品の魅力が更に強く心に訴えかけてくることに驚かれるはずです。
決してオリジナル至上主義ではありませんが、これは参ったと言わざるを得ません。
なんとも素朴で音楽然とした演奏が空間を満たし、各楽器の定位が本当に自然で、そこから音が発せられているかのような錯覚を覚えます。
空間の隙間の静寂感もが再現されているかのようです。
楽器の音色はどこまでも美しく、合唱の歌声は更に伸びやかに広がります。

私が先に手に入れたエソテリック盤は2012年の6月発売ですが、元のTELDEC盤も1994年発売ですから、10年も間が無いことになります。(録音は1991年)
元々リマスタリングする必要も無かったのではないかと思うのですが、SACD化するためにDSDマスタリングが行われています。
私はリッピングして聴いていますので、読み取りはCD層で、DSD音源ではありませんので、もしかしたらSACDで聴けばもっと良い音なのかもしれません。
しかし、私にはCD層でもDSD音源っぽいニュアンスが幾分感じられますし、おそらくSACDで聴くのと似た傾向の音にリマスタリングされているのではないかと思います(想像です)
感じ方は人それぞれだと思いますが、私にはTELDEC盤の方が自然な音で、エソテリック盤の方は音に厚みを持たせたせいか、若干線が太く、透明感や音の通りが後退しているように感じられます。
散々エソテリック盤の「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」を褒めておきながら、何を書いているんだとお叱りを受けそうですが、大好きな作品だけにより心に響くTELDEC盤を聴いてしまうと、TRAGICOMEDIAが目指した音はこれに違いないという確信めいたものを感じてしまいます。


「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」はJ.S.BACHの2人目の妻に贈った楽譜帳のことで、バッハが作曲したもの以外にも作者不詳の曲も含まれているという事です。
聴けば聴くほど耳に馴染み、体と調和するかのような自然な調べにすっかり魅了され、TRAGICOMEDIA以外の同作品も聴いてみたくなりました。
調べて見ると、結構色んなCDが出ているものですね。
私はその中から古楽演奏で有名なドイツ・ハルモニア・ムンディのCDを購入しました。
DHMのCDと言うこともありましたが、ソプラノがエリー・アーメリングであるのが最大の理由です。(チェンバロはレオンハルト)
チェンバロが主と言うことで、TRAGICOMEDIAのものとはまた印象が異なりますが、こちらも素晴らしい作品です。(収録曲も多少異なります)
アーメリングの歌声の何と美しく伸びやかなこと。
彼女のCDは他にも持っていますが、その中でもこのCDは特に素晴らしい録音だと思います。

ホワイトメタル
投稿日時: 2014/11/26 23:25
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: 秋の夜長に・・・
zappa1993さん、こんばんは

いつもお世話様になります。

「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」TRAGICOMEDIAのTELDEC(オリジナル盤)のご推奨有難うございます。
今晩注文しましたので週末には手元に届くと思いますので、じっくり聴いてから投稿させて頂きます。

それより、醍醐寺の山の紅葉写真素晴らしいですね。
見事なグラデーションです。
私も紅葉狩りは大好きで、毎年欠かさず群馬の名所へ訪れます。
お勧めは照葉峡と呼ばれる場所で、山奥ならではの押し潰されてしまう様なコントラストとグラデーションで、体内の邪気が中和されて清らかな精神へと蘇る想いになります。

TELDEC盤の到着が楽しみです。
バロック音楽の神髄に傾倒出来そうな予感がいたします。
zappa1993
投稿日時: 2014/11/28 20:52
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 秋の夜長に・・・
ホワイトメタルさん
こんばんは。

早速TELDEC盤をご購入いただき恐縮です。
ホワイトメタルさんが大目標に掲げておられます、質感の自然さと言う点においては、このオリジナル盤はリマスター盤に優っていると思います。
屈託のないご感想を楽しみにしています。
(感じ方は人それぞれですから、最低限の配慮さえあれば遠慮せずに本音で語り合うのが一番です)

毎年欠かさず紅葉狩りに行かれるとは良いご趣味ですね。
先日群馬県に寄せていただいた際、ケミさん宅近くの高い山々が連なる景色に見とれてしまいました。
京都は盆地で山に囲まれていますので、山は多いのですが、こちらとは全く違う景色で、自然の偉大さを感じました。
あの山々が紅葉すればさぞかし美しい眺めでしょうね

ホワイトメタル
投稿日時: 2014/11/30 14:26
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: 秋の夜長に・・・
zappa1993さん、皆様、こんにちは

いつもお世話様になります。

昨晩仕事から帰宅した際、TELDEC盤(ドイツ初盤)中古品が到着していましたので早速エソテリック盤と聴き比べてみました。
いきなり結論から言わせて頂きますと、TELDEC盤の方が明らかに音場、質感、帯域バランスが大変優れていて超高音質盤と確信出来ました。
私もzappa1993さんが仰っている感覚に近く、エソテリック盤のCD層(リマスタリング)は低域が少々強調されて若干バランスが崩れており、音場も少々籠っており鮮度感溢れるナチュラルな質感は少々減退していると思いました。
しかし、今回のリマスタリングは相当レヴェルが高く、数多く存在するリマスタリング盤とは種が異なり、ハイ上がりの軽薄な質感で音楽の核心を無視した手法とは違い、オリジナル盤との聴き比べを行わなければ何の不満も感じないどころか高音質盤で太鼓判が押せると思いました。

ご存知の事ですが、拙宅はCDPですのでCD層しか聴く事が出来ませんのでエソテリック盤(SACD)のDSDマスタリング音源の真価を問う事が出来ないのは残念かと思いますが、初盤のPCM音源で充分にこの録音の真価を問う事が容易だったのです。


それでは、数度聴き比べを行って抜粋したtrackについて所感を述べさせて頂きます。
(TELDEC盤での所感です)

track.2:コラール「おお永遠よ、汝恐ろしき言葉よ」BWV513(第42曲)

歌手(ソプラノ、テノール、バリトン、バス)の各音域が異なる歌手のニュアンスと描写が見事で、完全に調和した歌手とビオラ・ダ・ガンバ、オルガンの通奏低音を奏でる和音楽器が聴き手を陶酔させてくれる感覚に浸れました。

Track.3:アリア「思え、わが友よ」BWV509(第41曲)

冒頭からテノール歌手のトロリとしたソフトで溶けてしまいそうになる声質と歌唱法で、聴き手は完全に魅了されて深い陶酔感に浸れると思います。
伴奏はチェンバロかと思い聴いておりましたが、arpanettaと言うハープ系の楽器でしたが、そのarpanettaから奏でられた優しい音色についつい惹きこまれてしまいました。

Track.11:アリア「私はしばしばパイプのよいタバコをつめて」BWV515a(第20曲b[c]

テノール歌手が哀愁漂うが溌剌とした歌唱力の描写が見事で、ヴィオラ・ダ・ガンバ(エソテリック盤では少々最低域音が出過ぎてブーストしていた部分が解消されています)とリュートの控えめで優しい音色がバランス良く奏でられており、マイナー音階の切なさを堪能する事が出来ました。

Track.13:アリア「幸いなるかな、おお魂の友よ」BWV517(第40曲)

ここ最近よく聴く曲で、歌手(ソプラノ、アルト、テノール)のニュアンスと描写が見事で、分離して描写されているにも関わらず調和して体に浸透する感覚(エソテリック盤ではヴィオラ・ダ・ガンバが少々低域が強め)は、私自身の性格すら改善してくれるほどに純真無垢な世界です。


以上、抜粋し簡単ではありますがTELDEC盤(ドイツ初盤)の所感を述べさせて頂きましたが、大変優れた録音盤で位相も整って解像度も高く、ナチュラルな質感と音場、生音に近い描写と空気感などは稀有な超高音質盤として確信出来ました。
今後のオーディオ再生においてREFERENCE盤として末永く愛聴していこうと思っております。
zappa1993さん、この度は素晴らしいCDのご紹介有難うございました。
別に推奨頂きましたDHMの盤も購入してみたくなりましたが、古楽器を使用したコンサートへはここ10年程行っておらず記憶が曖昧ですので、来春に古楽器を使用したバッハ公演を購入しましたので再度古楽器の音色を堪能してからDHMの盤を購入して楽しみたいと願っております。
是非、皆様も中古品をネット等で安価に入手出来ますので、このTELDEC盤(ドイツ初盤)をお聴きになられては如何でしょうか?

宜しくお願い致します。
zappa1993
投稿日時: 2014/12/4 1:27
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 秋の夜長に・・・
ホワイトメタルさん
皆さん
こんばんは。

ホワイトメタルさん、詳しいご感想ありがとうございます。
やはりTELDEC盤の方が良い音質に感じられましたか。
仰るように、エソテリック盤もこのオリジナルとの聴き比べの中では幾つか劣る部分もありますが、単体で聴く分には何の不満もなく、内容・音質共に大変優れたものだと思います。
巷によくある、「やっぱりリマスター盤はダメだ」といった類のものでは決してありません。
それにSACD層で聴いた訳ではありませんので、現状で判断するのはアンフェアです。
SACDプレーヤーで聴く機会があれば、改めてその時の感想などを投稿させていただきたいと思います。
本投稿とは直接関係ありませんが、少し前にRGC-24のアースケーブルをPC-tripleC導体にバージョンアップしていただきまして、毎日音楽の魅力に取りつかれているのですが、アースケーブルをPC-tripleCにすることで、この作品の良さも更に高まりました。
音像定位が明確になり、音も良く分離され、ボーカルや楽器の存在感が目覚ましく向上します。
これは本当にお勧めです。

リマスタリングの是非についてはこれまでにも何度も投稿してきましたし、皆さんも同じような感想を持たれているのではないかと思うのですが、今回「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳 第2巻」の新旧を聴き比べるなかで、『鮮度』という言葉が強く頭に残りました。
音を表すのに鮮度という言葉は実に曖昧で、抽象的な表現ですが、言わんとすることはお分かりいただけると思います。
考えて見ると、リマスター盤はいくら最新の技術で音を蘇らせたとしても、音の鮮度というものは確実に損なわれているように思います。
(清さが感じられないとでも言うべきでしょうか)
「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳 第2巻」においても強くそれを感じました。
いったい鮮度とはどの様なパラメーターなのでしょうか?
肉や野菜ではないのですが、鮮度の落ちた音というのはどこか鈍った感じがします。
これも感覚的なものですが、どこかオリジナルの持つ生気やエネルギーが失われた鈍りがあるように思います。
この作品はデジタルレコーディングされていますから、理論上はデジタルコピーをしても音質は変わらないはずですが、実際にはデジタルデータと言えども、コピーをしたものは鮮度が落ちた感じがしますし、コピーを何度も繰り返せば確実に音質は悪くなります。
(デジタルデータをコピーしてもコンペア出来るなら音なんか変わる訳がない、というご意見はよく目にしますが、卓上の理論だけでは測りきれないのが音だと思います)
リマスタリングには、ノイズシェービングなどオリジナルにある欠陥を除く作業も含まれますが、基本的には音質の改善が中心ではないかと思います。
例えどんなに優れたリマスタリングが行われたとしても、オリジナル盤を超えることが出来ないのは、鮮度が失われているからというのは考えすぎでしょうか。


ホワイトメタル
投稿日時: 2014/12/6 18:39
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: 秋の夜長に・・・
zappa1993さん、皆様、こんばんは

いつもお世話様になります。

zappa1993さん、この度はDHM(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:国内盤【BMG】)をわざわざお送り頂き有難うございました。
お陰様でここの所「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帖」を聴く機会を与えて頂き個人的には年末の慌ただしい中、心がすっかり洗われてご感謝申し上げます。

このDHM盤はTELDEC盤とは少々収録曲や使用楽器、音域の異なる歌手や数が異なっており、大変興味深い内容でした。
バッハの音楽帖はゴルトベルク変奏曲、フランス組曲、平均律クラヴィーア曲集などの有名な作品にも採用されている一部の楽曲が多数存在していました。
私は音楽帖と言う作品を聴いた事がなかった為、例えばゴルトベルク変奏曲の冒頭のアリアがこの音楽帖で聴けるとは夢にも思いませんでした。
俗っぽく現代風に言いますと、バッハのオムニバス作品に感じました。
事前にzappa1993さんから輸入盤と国内盤との音質の差はほとんどないとお聞きしておりましたので、ほぼ両盤が同等の音質と言う解釈で所感を述べさせて頂きます。

まず、DHM盤の伴奏はチェンバロが主でしたので音の判断をするのには安堵しました。
冒頭からチェンバロの再生音を聴き「おやっ」と思い、年に数度聴く愛聴盤:曽根 麻矢子「ゴルトベルク変奏曲」99年ERATO(国内盤)との聴き比べで時間を費やしてしまいましたが、チェンバロの生の音色を追憶し再認識できた事は大変好ましかったのです。
DHM盤は66年と古い録音の為、少々高域よりで薄い再生音に感じましたが録音自体が良いのですぐに頭を切り替えて一通り聴いてみてバッハの世界に没頭する事が出来ました。

そこでお得意の抜粋した所感ですが、
track.6:アリア「御身がそばにあるならば」でのエリー・アメリング(ソプラノ)歌声の再生音は、あまりにも美し過ぎる天性の美声(歌唱力)に意識を失いそうになり、このままあの世へ行ってしまっても構わない位に陶酔出来ました。(楽曲も素晴らしい)
オペラを歌わせても天下一品ではないでしょうか?
音像定位がリアルで、精緻で素晴らしい録音でした。

track.8:アリア「喫煙者の教訓」では、まず歌手がTELDEC盤ではテノール歌手でしたがDHM盤ではバリトン歌手になっており、伴奏もチェンバロになる事で作品のイメージががらっと変わり、歌手の音域が下がる事で感じ方に変化が生じました。
質感豊かな哀愁漂う歌声の優しい再生音に惚れ惚れしました。
ドイツ・リート歌手の神髄的な歌声で、シューベルトの歌曲を歌わせたら天下一品かもしれません。

両作品を聴き比べて感じた事ですが、どちらの盤も優れた高音質盤で終生の愛聴盤として聴き続けると思いますが、TELDEC盤は極めて楽器の音色や歌声がナチュラルな質感で、音場も不自然さはなく位相も整っており、小から中規模の教会で実際に生演奏を聴いているのではないかと思われる位に素晴らしい録音かと確信出来ました。
一方、DHM盤では録音が古いのにオーディオ的な魅力が満載で、楽器や歌手の描き分けが明瞭で質感も良く、パッケージメディアとしてのポテンシャルの高さを感じ得る事が出来た素晴らしい録音でした。

zappa1993さん、この度は貴重な体験をさせて頂き有難うございました。

今後とも宜しくお願い致します。
zappa1993
投稿日時: 2014/12/7 12:28
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 秋の夜長に・・・
ホワイトメタルさん
こんにちは。

ご丁寧にご感想ありがとうございます。
私はチェンバロを(恐らく意識して)生で聴いたことがありませんので、その音色や質感に関しては、録音物の良し悪しを正確に判断することは出来ないのですが、やや高域よりの音質ではあっても演奏としては大きな違和感の無いものだったと思います。
寧ろ、古い録音であることと合わせ、演奏の素朴さが感じられ、心穏やかに聴ける演奏に感じられました。
歌手の歌声にも純なものが感じられ、音楽を聴いて感動するという行為が、ごく自然なことであることがこの様な盤を聴くとよく分かります。
これは、高音質というものが単なる音質上の良さを表したものでは無く、演奏や歌声、如いては音楽の魅力を引き出すものでなければならないという事を改めて考えさせてくれますし、最近のリマスター盤の多くに失われている所ではないかと思います。
音楽を聴いてあれこれと思考をめぐらすことが出来るのも、また良い作品の表れではないかと思います。

このDHM盤は、ホワイトメタルさんが仰るようにBachの他作品からの色々なメロディーを聴くことが出来、最初に聴いた時から既に何度も繰り返して聴いている様な気持ちになります。
それだけBachの作品が身近にあり、体に馴染んでいるという事の表れだと思いますし、永遠に枯れる事の無い優れた音楽であり、偉大な作曲家だったということなのでしょうね。

末永く愛聴していただけますと幸いです。
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