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   [10-07. アナログレコードアクセサリー]ターンテーブルシート RTS-30
     RTS-30導入三ヶ月後にようやくレビュー
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投稿者 スレッド
メリメロ
投稿日時: 2021/7/29 22:28
半人前
登録日: 2019/5/14
居住地:
投稿: 38
RTS-30導入三ヶ月後にようやくレビュー
メリメロです。
ターンテーブルシートRTS-30のレビューです。

導入したのは四月半ばなのですが、ほぼ同時期にウエスギ真空管アンプをオーバーホールに出したこともあって、レビューにいたるまで時間がかかってしまいました。

アンプのオーバーホールのほかに、クォーツアンダーボードRST-38Hの二枚目が手に入ったので(中古ですが)、いままで電源用に使っていたものとあわせて、セオリー通りにスピーカーの下に敷くことにしました。というわけで、それなりの環境変化を経たあとでの試聴ということになります。

まず感じるのは音場の安定です。左右に加えて高さもふくめて広がりが増したのもさることながら、全体にしっかりとした安定感があり、またクリアな見通しがえられるので、パート間のからみあい、つながりといったものが自然と立体的に聞こえてきます。スタティックな定位以上に、エネルギーの変化が体感できます。

カラヤン指揮ベルリンフィル演奏のバルトークの「弦打楽器チェレスタのための音楽」(Columbia1962年録音)のAngel盤は中学三年のときに買ったもの、これによって、よくもわるくも自分なりのこの曲のイメージができてしまったのですが、RTS-30の効能のせいなのかどうか、だいぶ客観的に聴くことができました。この演奏はライナーからブーレーズにいたるシカゴ交響楽団の一連のモダンな演奏の系譜とは違って、陰鬱で暗い情念の表現にむかう方向だと思いこんでましたが、こうして聴いてみると別の感想も生まれます。

カラヤンはグレン・グールドと並んでレコーディングにきわめて意識的にとりくんだ人間のひとりであるはず、このLPはステレオ録音の効果を最大限に発揮することをめざしてなされたパイオニア的存在であるような気がするのです。第一楽章アンダンテ・トランクィロでの、ピアニシモからフォルテシモに盛り上げ、それをまた急速にピアニシモへ落とすあたりの展開、第二楽章アレグロの左右にふりわけた弦の二つのグループの少しばかり強調された距離の取り方と、両者の対位法的協奏によってうねるような響きをつくりだしてゆく展開などには、音楽的真実の追求という以上に録音エンジニア的な目的意識性がはたらいているのではと疑うほどです。第一楽章後半のピアニシモ部分も音の動きがこれまでになくはっきり聞こえてきます。全体に後年のカラヤンからは想像できないほど引き締まった緊迫感のある演奏であることは間違いありません。

ヤーノシュ・ロラ指揮リスト・フェレンシック室内オーケストラによる同曲の演奏(Hungaroton1984年)は、ここでもちだすのがおかしいくらいカラヤンとあり方が違いますが、小編成オーケストラのお化粧抜きの薄い音のひびきのせいで、逆にテクスチャーが鮮明に浮かび上がるともいえ、バルトーク自身がイメージした曲のあり方はこれに近いものだったかもしれないと思ったりもします。これを聴くと、カラヤンの演出ぶりが透けて見えてくる感じです。

これまでターンテーブルシートとしてはアナログプレーヤー(Nottingham)を買ったときにおまけにもらったコルク製のものを使っていました。調べて見たら、Origin Liveのもので、見かけは薄っぺらな頼りないものですが、Nottinghamと相性がよいのか、以外とあなどれないのです。とくに高音域、中音域の透明感、解放感についてはRTS-30を上回るのではないかと思ったほどです。

こんなはずはないと思ってアーム高の調整をし直したら変化がありました。それまでRTS-30で中音域に音がつまった感じがあり、弦の高音域がうるさく感じられたのが消えました。バッハの無伴奏ソナタ第三番をクイケン(Harmonia Mundi1983年)およびクレメール(Philips1981年)の演奏でたてつづけに聴きましたが、もう文句なしです。わが家の三十年来の装置でこんな音が聞けるとは!ズスケ四重奏団のハイドン・セットの一曲など、アーム高調整前はやたら高音部分がうるさく感じられたのが、別物になり、目の前の装置がすべて消え去り、音楽だけがなりひびき、それに没入して聴き入る幸福な体験の領域に入ることができました。

アーム高の何ミリかの調整がこれほど大きな意味をもつなど、すべてにわたってアバウトな人間である自分には思いもよらないことでした。装置にしても、アクセサリーにしても、うまく活かすまでそれなりに時間がかかりますが、最終的にその存在が消え去ることによって役目を果たす、またそのためにわれわれも投資をしてやまない、というのは不思議といえば不思議な現象です。
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