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演奏者・アーティストの意図した音作りを目指して | 投稿するにはまず登録を |
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| 投稿者 | スレッド |
|---|---|
| わっちー | 投稿日時: 2012/3/26 18:05 |
長老 ![]() ![]() 登録日: 2011/5/23 居住地: 投稿: 301 |
Re: 演奏者・アーティストの意図した音作りを目指して zappa1993さん皆様こんにちは!
代表的な五感と言われる感覚の中での視覚と聴覚の繋がりは、 同じく五感の味覚、嗅覚と視覚の連動のようにとても興味深いものですね。 私はオーディオを聴く時には基本的には目を開いていますね。 集中して聴けている時は目を開いていても目の前がほぼ見えていないように感じる時もあります。(カッコいい事でなくぼーとしている様な感じ!?) また意図的に目を瞑る事もあります。オフ会では瞑っている時間が割りとあります。初めての場所は目から受ける沢山の新しい情報で脳が活性化してしまって、慣れた環境で鑑賞するのとは精神状態がかなり変わってしまう様で、一度は目を瞑り聴いてみます。そうする事で感じ取ることもあるからです、色々試したいのだと思います。 クラシック演奏者でもカラヤンは多くは目を瞑り指揮をした事で知られ、ニキシュは指揮棒より寧ろ目力(視線)を多く使い指揮をしたそうです。 指揮者は音を出さずして表現をしますが、フルトヴェングラーが会場に入っただけでフルトヴェングラーの音楽になったと言う、楽団員の話を聴いたことがあります。こういったこともオカルトと貶す方がいるのでしょうかね(笑)滑稽です。。ことクラシック音楽からはスピリチュアルな事はとくにきり放せられない様に感じます。 またピアニストではリヒテルは暗譜をせずに演奏することで知られます。目で譜面を追いとても視覚を使っていると言う事になると思いますが、分析的というよりはむしろ感覚的でイマジネーションに溢れた演奏をします。録音物しか聴いたことはありませんが・・ これらは音楽と言う芸術の表現者側の話です、が受け手もきっと一緒のように感じます。 やはりどちらが良い悪いと言うことではないと思いますがとても面白いですよね。 以下は付随した話なのですが 芸術という表現は必ず発信者と受信者がいて成立します。感性と感受性、感覚の交信のように思います。音楽という芸術における演奏会(ライヴ)にもそういった精神的な一面があり、オーディオにおける再生芸術は更に時間を越えてそれを達成させてくれます。 芸術での受け手は理屈で図りきれない演奏者の心動きを音として聴き、そして心に感じます。良い演奏は自然にこの感度を上げてくれます、演奏者との呼吸が合い、心拍数が変化したり、涙が出たりします。 オーディオも音楽を聴くのを主に再生するなら受信者はそのアンテナ感度を上げなければならないのですが、 良い演奏と同じようにアコリバの製品はアンテナ感度を上げる手助けをしてくれます。自然な解像度、自然な音色、演奏者の快、あらゆる感情を自然に再生して結果、「感覚の交信」が容易になります。 ソースの音情報を正確に伝えること(忠実度の高さ)で、更にその先(その前)にある精神を再生する事に成功されているところが素晴しいと感じます。 私の感じるこの「精神の再生」がアコリバさんの言っている有機性や生命力なのかなと思っています。 総合的にアクセサリを作られて来たからこういった結果が出ているのでしょう。「足さず引かず」と苦心した結果が高忠実で高い芸術性という形で実を結んでいるのが理屈ではなく感じられます。 >音楽を聴くこと、オーディオを楽しむことに理屈は要らないのかもしれません。 私も理屈、論理はもちろん、理論に囚われているうちは本来の精神的な感動、感受性は乏しくなる一方と思います。理論は手助けになりますが、理論で説明しきれない事が「音楽」には溢れています 私自身は感覚が最初であって後に理論が存在すると言う事を忘れないほうが良いと思っています。 また「聴く」と言う感覚的で受動的な行為は本来は嫌でも感覚的になれる筈だと思います。 とは言え理論も大切です。が、音楽の感動は理屈ではないので ずっと精神や感受性、感覚(センス)が大切と思っています。 皆様のご意見拝見させて頂き自分の思うところを書きました。 |
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