メイン [00-02]オーディオ全般 「録音」について | 投稿するにはまず登録を |
フラット表示 | 前のトピック | 次のトピック |
投稿者 | スレッド |
---|---|
ごんたろう | 投稿日時: 2008/5/25 14:24 |
新米 登録日: 2008/5/19 居住地: 投稿: 8 |
「録音」について 初めまして。ごんたろうです。
かねてからここの掲示板を興味深く拝見しておりました。 どなたもオーディオにかける情熱がすばらしく、触発されることが多々あります。 私はごく普通のリスナーで、オーディオは使いこなしも何も分かりません。 はっきり申しあげて私にとってオーディオは純然たるブラックボックスであるのですが、まあ、そんな人もいるものだとご理解頂ければ幸いです。 ところで、昨日久しぶりに掲示板を覗いてみますと、オーディオについての激しいやりとりがあってびっくりしました。 既に解決済みのお話なのだと思いますが、「録音」というものに対しての認識が人によって随分違うものだなと感じましたので、ちょっとご迷惑かもしれませんが、私の考えを述べてみたいと思います。 生演奏と録音は本質的に違うものなのです。 聴かせる対象も場所も全く違います。 多くの人が迷い込む陥穽があります。 生演奏が至上である。 録音はそれにどれだけ近づくかがポイントである。 録音というのは、コンサートの再現を目指して作られているのではなく、家庭の環境内で、できる限り良い姿で音楽を聴かせたいというプロデューサー、録音技師(トンマイスター)、演奏者、etcの英知が集まってできているものです。 生演奏とは最初から違うものです。 もし録音媒体を否定し、生演奏至上主義をとると大変なことが起きます。 ビートルズは「サージェント・ペパーズ」をはじめとする名盤を多数制作しましたが、どこかでそれを公開演奏していたならばそれが基準となってしまいます。いくらビートルズでもあれを生では再現できないでしょう。 それこそ「アビーロード」のB面など不可能です。 あれを生が最高なんだから、といわれたらビートルズは途方に暮れます。 昔クイーンというバンドがありましたね。 彼らの「ボヘミアン・ラプソディー」は大変衝撃的でした。 しかし、メイン・ヴォーカルのフレディ・マーキュリーもあれを自分のコンサートで再現できていません。 昔ライブの様子を見てあれが再現できていないのでがっかりしたものです。 録音はある意味で生を超えているのです。 または録音は録音で完結したひとつの芸術なのです。 これはポップスだけではなく、クラシックの分野でもそうです。 普段は聞こえないような音が聞こえる。 でもそれが自分の部屋では大変な臨場感をもって迫ってきてその演奏の虜になる。 例えば、管理人さんがリファレンスに挙げておられたラン・ランの独奏によるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、コンサートホールではまず間違いなく味わえない音響に充ち満ちています。悪くいえば作為的です。 しかし、それをプロデューサーはもちろん、演奏家もOKしてリリースしたのです。 いかに生とは違っているにせよ、それを聴いてもらいたかったからに他なりません。 それを楽しむのもオーディオの楽しみだと思います。 生をリファレンスにするのはある程度必要なことです。 しかし、それにとらわれすぎると「なぜ録音が存在するのか」という根本的なところが理解されなくなります。 繰り返しますが、オーディオは、多くの関係者が英知を傾けて行った録音を、彼らの努力が報われるように、できる限り最上の形でリスナーに届けるためのものだと私は考えています。 その意味でオーディオは重要だし、今後も録音の中に隠されている情報をもっともっと引き出して演奏家がリスナーに届けたかったもの、メッセージを受け取っていきたいものだと思います。 最後に。 このような立派な掲示板を私は他に見たことがありません。貴重な情報が適切・正確な言葉で語られています。おそらく、多くの方がこの掲示板を参考にしていると思います。意見の違いは皆さん多かれ少なかれあると思いますが、オーディオがすばらしい、あるいは重要だと思って集まってきているわけです。こうした思いをずっと共有できたらいいなと願ってやみません。 |
フラット表示 | 前のトピック | 次のトピック |
題名 | 投稿者 | 日時 |
---|---|---|
» 「録音」について | ごんたろう | 2008/5/25 14:24 |
Re: 「録音」について | 管理人K | 2008/5/27 0:40 |
投稿するにはまず登録を | |