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ヴィオラ・ダ・ガンバ偶感 | 投稿するにはまず登録を |
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| メリメロ | 投稿日時: 2025/11/10 15:05 |
常連 ![]() ![]() 登録日: 2019/5/14 居住地: 投稿: 66 |
ヴィオラ・ダ・ガンバ偶感 メリメロです。
ヴィオラ・ダ・ガンバ(=ヴィオール)演奏は近年さかんに録音がなされている印象がありますが、生の演奏を聴く機会がないのが残念と思っていた矢先、一週間をおかずして二度ほど実演に接することができました。嘘みたいですが、こんなことがあるのですね。 最初は酒井淳のガンバと渡邉順生のチェンバロ(11月1日、横浜みなとみらいホール)、次はテオドール・バウのガンバにアンドレア・ブッカレッラのチェンバロ(11月7日、TOPPANホール)。いずれも曲目はバッハのソナタ3曲(BWV1027〜1029)がメイン。演奏者の顔ぶれの面でも、プログラムの面でも、貴重なヴィオラ・ダ・ガンバ体験になりました。I’ve got a Beginner’s Luck! 渡邉順生によれば酒井淳は「ビルスマ以来の衝撃」、本人にとってみればプレッシャーになりそうで怖い言葉ですが、太い指と太い脚(失礼!)で楽器をしっかりと抱き止めて演奏する姿に接し、やはり噂通りと感服いたしました。最前列の席で聴くことができたのも幸運で、エンドピンを使わないこともあって、演奏者の軀と楽器がぴったり一体化して、まるで呼吸するように音が伝わってくるあたりに、ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏をじかに聴く醍醐味があると直感しました。微弱音から強音までのダイナミクスの変化の大きさ、そして何よりも瞬間的な音の響きの変幻自在なありようには、こちらの予想を大きく超えるものがありました。なにしろ三メートル弱の距離から聴いているので、口をなかばひらいてエクスタシーに入り込む奏者の感覚がこちらにもダイレクトに伝わってきて、そう、ふと気がつくと聴いているのはバッハの曲、たしかに渡邉さんのチェンバロ、でもエクスタシー(Acoustic Reviveアクセサリーの用語法だとsensualにあたる感覚でしょうか?)に引き込まれる瞬間を感じる演奏でした。 もういっぽうのバウとブッカレッラはどちらもイタリア人奏者、そして両者ともにブルージュ国際古楽コンクールの優勝者。ステージへの出入りもデュオとしての絵になるふたりでした。直前になって公演があるのに気がつき、あわててチケットを求めたので、席はうしろから三列目の後方、細かなところが聞こえてこないのではないかと不安に駆られましたが、いざ演奏が始まるとそんな危惧は吹き飛んで、遠くから俯瞰するような位置で聞くのもまた違った味わいがあると思い直しました。 こちらの方のプログラムには、平均律ではなく、不等分律による調律だとか、、A=415hzのピッチだとか記されているのが当世風です。チェンバロはミートケ・モデルのレプリカというのですが、これはなかなか立派なものであるようで、以前王子ホールでジャン・ロンドーやロレンツォ・ギエルミの演奏を聴いたときも同一楽器が使われていた記憶があります(ひょっとして渡邉さんが弾いていたのも同一楽器?)。ホール後方で聞いていると上方の隅々にまで大型チェンバロの高音部分がひろがり、まるでその漣のきらめきの上に、波乗りでもするかのようにして、ヴィオラ・ダ・ガンバが風を受けて帆をひるがえして動き回る姿が見えてきます。ボワッーという風の音も聞こえるのです。 イタリアのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者といえばパオロ・パンドルフォとヴィットリオ・ギエルミが有名ですが、バウはこの二人の薫陶を得ているということで、聴いていると何やら心がウキウキしてくるのは、やはり思いっきりがよいイタリア人奏者のDNAがはたらいているのかもしれません。横浜では酒井淳の深みのある演奏を至近距離からじかに感じ取りましたが、こちらはもっと気楽に解放感を味わったというところでしょうか。盛大な拍手を受けて、アンコールに三曲も弾いてくれたのは、聴衆だけではなく二人の奏者も雰囲気を十二分に楽しんだということなのでしょう。 これと並行して家で「ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ」の録音を何種類か聴き直すなかで、ビルスマがチェロ・ピッコロを用いてこれを演奏しているのが気になりました。演奏者本人の解説によると、本来のガンバよりもこの楽器の方が音域の面でふさわしい、さらにあえてチェロ・ピッコロを用いるにあたって、編曲もなされているとのことでした。共演者のアスペレンはチェンバロではなく小型オルガンを使っていて、そのせいもあるのでしょうが、対位法的な輪郭線がよりくっきり聞こえてくる印象があります。 バッハの「無伴奏チェロ組曲」の第六曲に五弦の楽器で演奏すべしという指定があることはよく知られていますが、最初にチェロ・ピッコロでこれを弾いたのはビルスマ(1979/Seon)ではなかったかと思います。渡邉順生がまとめた『バッハ・古楽・チェロ−アンナー・ビルスマは語る』を読んでみると、彼がこの楽器に特別の感情を抱いていたことがよくわかるし、無伴奏ヴァイオリン曲などをみずから編曲してチェロ・ピッコロで弾いたアルバム(1988/DHM)もそのインティメイトな響きが、まるで彼の私宅に招かれて聴いている(あるいは彼を自宅に招いて聴いている)ような雰囲気をかもしだします。 ヴィオラ・ダ・ガンバに話をもどすと、酒井淳はあるインタヴューに答えて、ゴリゴリのチェロ一辺倒だった彼がこの楽器の虜になったのはジョルディ・サヴァールの録音を聴いたことがきっかけで、まさしく雷の一撃(すなわち一目惚れ)だったと言ってます(Marin Marais, Pièces de viole, Livre I, 2020/apartemusic)。ほとんど肉声のようなフレージングおよび音の肌理という点でカザルスを連想したという思いがけひとことも洩らしています(考えてみると、両方ともカタルニア出身ですね)。 メリメロもまたヴィオラ・ダ・ガンバという楽器を意識したのはサヴァールによるマレのヴィオール曲集の一連の録音でした。酒井さんもどこかで言及されてますが、サント=コロンブとマレーの師弟愛と葛藤を描く映画『めぐり逢う朝』を見たことがきっかけになっています。それから30年ほど空白期間があって、いままた一気にヴィオラ・ダ・ガンバへの興味が掻き立てられることになったわけですが、なにしろ弓の持ち方も、弓を押したときと引いたときで出る音もチェロとはちがうという謎めいた部分があります。ごく短いフレーズを繰り返し弾くようなところはフィリップ・グラスのミニマル・ミュージック(たとえばEchorus)を連想させるものがあって、失われた古楽の響きの探究というだけでない可能性を感じたりもします。サヴァールはケルト音楽も演奏しているし、パンドルフォも同様にジャンルを超える活動をしているのがチェロ奏者にはあまりみられない点です(酒井淳にはジャズ・トリオの録音がありますが)。 とにかく、よくわからないこと、気になることがいろいろあるので、自分で楽器を弾こうとするわけでもないのに酔狂ですが、『ヴィオラ・ダ・ガンバの手引き』(アカデミア・ミュージック)なるものを入手して、読み始めました。日本ヴィオラ・ダ・ガンバ協会の編集になる30ページほどのパンフレット(定価1200円)ですが、これは今年の買い物のなかで一二を争うスグレものであるように思いました。 バッハの「無伴奏チェロ組曲」の録音も近年はガンバ奏者の加入によって様変わりしたように見えます。新しいアルバムがでるとやはり気になるので思わず購入してしまいますが、楽器の素性や音高ピッチなどの細かな解説を目にすると、「あなたに違いがわかるだろうか?」と試されているようで気押されする部分もあります(Acoustic Reviveレーベルからこの秋に出た酒井淳のアルバムはこの点についてはアッサリしたものです)。なんとなくCDが積読状態になっていたのも、受験生めいた憂鬱が原因だったかもしれません。 先々週から先週にかけてヴィオラ・ダ・ガンバ実演に立て続けに遭遇し、家でしきりに録音を聴き直すなかで、ふとRGC-24Kの接続方法を変えてみる気になりました。以前Harryさんやスキャットさんが、これをスピーカーのマイナス端子に繋ぐやり方を報告されていて(ほかにもこのやり方をされている方がいらっしゃるかもしれませんが)、長らくそのことが気になっていました。プリアンプとディスクプレイヤーから移動させたのですが、結果は、まさに晴天の霹靂、驚天動地、これまでで最大といってもよい雷の一撃でした。 ビルスマが弾くチェロ・ピッコロの軽みと嫋やかさと思いがけない美音、それとは対照的な酒井淳のヴィオール(=ヴィオラ・ダ・ガンバ)の音の密度と肌理と求心力が、頭の中で再構成せずとも自然にそこにあるものとして感じられるのです。装置の側にこわばりがあると、自分の側にもこわばりが生じて、流れるべきものが流れないということなのでしょう。これなら、いくら「違いがわかるか?」と試されてもヘッチャラという気分になります。とはいうものの、数年前はRGC-24Kの無料貸し出しをお願いして試してみたものの、さほど違いがわからなかったこともありました。やはり奥が深いと思います。あるタイミングで、あるいはツボを得ると、予想もしなかった次元がひらけるということであるように思います。大袈裟ですが、今回はタイミングという点で、予定調和にもひとしい神の采配を感じました。 アクセサリーだけでなく、Acoustic Reviveレーベルにもまた驚くべき底力を感じます。メリメロなどは、酒井淳の存在をここで知ったようなものです。だいぶ昔に買ったクリストフ・ルーセ率いるLes Talents Lyriquesのアルバムをいくつか取り出してみたら、たしかに奏者のなかにSakai Atsushiの名がありました。最近になってヴィオールを用いたサント=コロンブ、マラン・マレ、フォルクレなどを演奏した彼のアルバムを聴き、さらにまたバッハの無伴奏チェロの録音を聴くなかで、点と線がつながり、まとまりのある姿を見せ始めた気がします。Acoustic Reviveとの不思議な縁をあらためて感じる毎日です。 |
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メリメロ | 2025/11/10 15:05 |
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あじなめろう | 2025/11/10 20:22 |
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メリメロ | 2025/11/14 22:56 |
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あじなめろう | 2025/11/15 15:11 |
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