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Ogura Miharu Plays…鳴っている音がめちゃくちゃやばい | 投稿するにはまず登録を |
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| メリメロ | 投稿日時: 2026/5/18 16:00 |
一人前 ![]() ![]() 登録日: 2019/5/14 居住地: 投稿: 82 |
Ogura Miharu Plays…鳴っている音がめちゃくちゃやばい メリメロです。
RR-888を友人にプレゼントしたところ、彼女がこれをコンサートにもちこむという予想外の行動に出たことは別稿で報告ずみです。 そのエネルギーがこの欄に転移しました。以下は、メリメロの推し活的なノートです。極ワタクシ的な部分があるかもしれませんが、大目に見ていただければさいわいです。 小倉美春のピアノ演奏を最初に聴いたのは2022年6月25日、「新しい耳@B-tech Japan」の初回、場所は虎ノ門にあるベーゼンドルファー・スタジオ、コンサートというよりセッションに立ち会う雰囲気でした。聴いてびっくりというのはまさにこのこと、最近Ogura Plays Stockhausen(2023 Thanatosis produktion)およびOgura Plays Ogura(2024 Thanatosis Produktion)と題する2枚のアルバムを聴くにおよび、驚きはさらに大きなものに。 上記アルバムはAmazon Musicで聴くことができますが、それだけでは飽き足らぬものを感じました。ネット検索の末にたどりついたアルバム入手先のひとつはArt into Life、もうひとつはDotei Records。前者は益子町に店舗をもち、サイト名からしてウィリアム・モリス的な匂いがするのですが、どうなのでしょうか。後者は八王子に店舗をかまえ(靴を脱いで畳の上にあがるようになっているらしい)、サイトを見るとすべてのレコードに数行のコメントが記され、どれも受け売りではなく、実際に聴いて書いている感じはナカナカのもの。 ちなみに以下がDotei Records店主によるOgura Plays…アルバムの双方に関係するコメント。 「音楽ど素人の音楽人である道程店主としては、この曲を学術的な視点から解説することはできません。しかし、「鳴っている音がなんかめちゃくちゃやばい。」という感覚は、音楽を聴くという体験の中で、これに勝る価値はないはずです。」 引用の都合上カギ括弧が二重になりましたが、その核心にある「鳴っている音がなんかめちゃくちゃやばい」という部分は、四年前にB-techで小倉美春を最初に聴いたときのメリメロの感覚とおなじです。このときプログラムに並んだのはブーレーズ(「アンシーズ」)、メシアン(「鳥のカタログ」13番)、自作曲(「線の残り香」)、シェーンベルク(op.23)、シュトックハウゼン(Klavierstücke VI)、リゲティ(Etude no. 13)など。水をえた魚のように超難曲を弾きこなす姿は爽快でした。とくにリゲティにはたまげて、Pierre-Laurent Aimard, Michaël Levinas, Thomas Hellなどの録音を次々と聴く羽目になりましたが、名だたる名手の演奏を聴いたあとでもなお、このとき(まだ二十代半ば)の小倉の演奏の記憶が鮮烈でありつづけているのはすごい。 といってもテクニックがすごいというだけの話ではないのです。水面下にあるもののヘンリンはB-techで配られたA4一枚を二つ折りにした簡素なプログラムに記された彼女自身の数行のメモからもうかがえます。たとえば「ピアニストはグラフによって示されたテンポの変化を必死で追いかけるが、次第に聴こえてくるのは、様々なロープで繋がったピュアなうた」(シュトックハウゼンについて)、あるいは「左右の手で様々に組み合わされる線たちが、どのように残像を残していくのか(あるいは残さないのか)考えた」(自作について)などという言葉のきれはしにこのひとの知性と感性が透けて見えます(メリメロはあとになってそのタグイ稀なるあり方を理解するにいたったのですが)。二十代半ばの小倉の演奏は、言うなれば母語を話すように聞こえてくる…… 発音はネイティヴのそれ、水の中をしなやかにおよぎまわる魚を見るようであって、難解な現代曲に接している感じがしないのです。 現代曲なんてカンケイない、と思われるかもしれませんが、本フォーラムに集う名うてのオーディオファイルの方々にこそ、ぜひこの二枚のアルバムは聴いていただきたいところ。雷鳴のようにとどろく低音の持続音とか、一台のピアノからこんな多種多様な音が出るものなのかと思わせる変幻ぶりとか、SN比をためすかのような静寂と音の境界への意識の集中とか、使用されるピアノの種類に応じる響きの特性の変化とか(使用楽器はOgura Plays Oguraの方はFazioli F212、Ogura Plays Stockhausenの方は記載はありませんが、たぶんSteinway D、しかも驚くべきことにMONOPIANOフェスティヴァルでのライブ録音)、再生装置(Acoustic Revive製品の投入度も含めて)を試すポイントがいろいろ用意されているように感じます。メリメロの場合はGW中にプレイヤーとプリアンプ間の結線をXLR-1.0 Triple C-FMへとグレードアップし(中古ですが)、とくに雷鳴を思わせる響きの変化には怖くなるものを感じたほどです。これもまさに「鳴っている音がめちゃくちゃやばい」部分です。 そのようなオーディオ的快楽の部分もまちがいなくあるのですが、それだけではやはりサビしい。「音楽で掬いとれるもの 小倉美春ースタイル&アイデア」をはじめとする彼女自身の発信をフォローするなかで、もっと深いところが見えてくるように感じました(「おうちでシュトックハウゼン」と題された一連の動画投稿には唖然とさせられましたが)。たとえば「シュトックハウゼンの曲は緻密に分析できるし、そういう曲として解釈する演奏家も多い……」とインタビューで語るあたり。 これを彼女自身の別の言葉で置き換えると「数学的に冷たく弾くこともできるんだけど、もっと生き生きとした音楽としても作れる」(こちらはブーレーズについて語っている部分なのですが)ということになるのではないか。くだんのインタビュアーは「シュトックハウゼンに対する先入観を覆すようなカラフルな音色」という形容をもって小倉のCD演奏を語っていますが、メリメロの言葉に翻訳しなおすと、響きとなってあらわれる微妙な動的変化ということになります。 こんな言い方では何も伝わらないかもしれませんが、シュトックハウゼンやブーレーズ(トリスタン・ミュライユも含めて)などのピアノ曲に接するとき、和音の強打の周囲を音の断片が星座のように舞いながらも、総体としてはスタティックな構造体として聞こえる印象を拭えきれないでいる自分にとって、小倉美春の演奏が新鮮に聴こえた理由の一端はそのあたりにあったのかもしれません。要するに、「やばい」という意味のひとつは、構造体のピースではなくて、音が生き物のようにうごめいている、ということ。 Ogura Plays Oguraは2018年から2023年にかけて彼女が作曲した五曲をおさめた自作自演のピアノソロのアルバム。なかでも…zwischen…(2023)と題する一曲は示唆的でした。ドイツ語タイトルの意味は「あいだ」ということですが、さらに前後に中断符が加わっていて、意味合いを強めています。この曲名を目にしたあとは、Ogura Plays Oguraというアルバムそのものが始まりも終わりもない「あいだ」のように聞こえてくる、さらにはOgura Plays Stockhausen(言い遅れましたが、これはKlavierstückeの全曲演奏)にしても、聴きようによっては、すべてが切れ目なく点滅し断続する「あいだ」として聞こえてくる効果があるように感じました。 最後に、今回出会ったThanatosis Produktionについてひとこと。ギリシア語のタナトス(=死)を連想させる不吉なレーベル名ですが、調べてみたら、死を装う(昆虫などの)擬態ということでした。ひっくり返ったゴキブリの姿がロゴになっているのが笑えます。グレゴール・ザムザ(いうまでもなくカフカですが)の暗喩があるのかもしれません。 |
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メリメロ | 2026/5/18 16:00 |
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