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   [02-01. シングルコアケーブルシリーズ]シングルコアケーブルシリーズ PC-tripleC
     シングルコア電源ケーブル(Power Reference)がもたらす音楽体験の飛躍的充実
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投稿者 スレッド
メリメロ
投稿日時: 2024/3/25 14:38
半人前
登録日: 2019/5/14
居住地:
投稿: 38
シングルコア電源ケーブル(Power Reference)がもたらす音楽体験の飛躍的充実
メリメロです。

思いがけないことですが、Power Referenc PC-Triple C(楕円)計二本を使い始めました。一本はプリアンプ、もう一本はディスク・プレーヤー用、約一ヶ月が経過したところです。

それまで電源ケーブルはPower Standardをはじめとして、Power Sensual TripleC18000を用いた自作も交えて、PC-TripleC(撚り線)でほぼ統一し、すでに十分という気がしていましたが、このシングルコアのPC-TripleCの威力と効果は圧倒的で、予想をはるかに上回りました。

導入のきっかけは、昨年夏前に聴き始めた古典四重奏団によるべートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏CDの鳴りぐあいが芳しくなかったことにあります。精細感はあっても、なんとも痩せた響きで、浅く平面的にしか聞こえませんでした。いろいろ試行錯誤を繰り返したあげく、手元に余っていたSPC-Referenceを利用してプリアンプ用の電源ケーブルとしたところ予想外の変化がありました。初歩的な工作の結果ですが、響きにしなやかさがあり、ダイナミックスの変化、音色の変化にスピーディに対応し、とくに弦の響きが一挙にナチュラルになった印象がありました。

これをきっかけにシングルコアの電源ケーブルについて関心をもちはじめ、管理人Kさんにいろいろお尋ねすることになりました。Power Referencの存在は知っていましたが、海外向け製品、ハイエンド機器ユーザーのものという刷り込みがあり、自分には無縁のものと思ってました。Kさんとのやりとりのなかで、何よりも誇りと自負をもってこのケーブルを作られていることに感じ入り、さらにわが家の環境に沿ったご提案をいただいたことも加わって導入にいたりました。海外向け製品となっている理由についても遅まきながら理解しました。

使い始めて100時間ぐらいで音が落ち着くというお話でしたが、いまはおそらく60時間を過ぎたあたり、でも予想を超えた充実をすでに感じています。オーディオ的な音響の充実もさることながら、音楽体験の充実、さらには音楽を聴くことを通して感じる人生の時間の充実(いささか大袈裟で気恥ずかしい表現ですが)ということです。

Power Reference導入のご相談をしている頃は、ジャンルカ・カシオーリの演奏するドビュッシーの前奏曲集のCDをしきりに聴いてました。演奏者自身によるアルバム・ノートによれば、ピアノは1960年代のスタインウェイ、録音にあたってはアナログとデジタルの両方の方式が用いられ、曲ごとにどちらを選ぶかは演奏者が判断したということです。第一巻七曲目「西風の見たもの」など、ダイナミックスの変化が大きい曲の演奏にデジタル録音が選ばれているのはすんなり理解できましたが、シングルコアのケーブルに変えてからは、さらに細かな肌合いのちがいが感じられるようになりました。

カシオーリはこの演奏で打鍵後の振動音のゆらぎ、トレモロのような持続音に神経を集中させているように思えます。最近コンサートで聴いた何人かのピアニスト(とくにキット・アームストロング、藤田真央、ジャン=ピエール・エマール)による音の響き(タッチとペダル効果)の追求と印象が重なるのも興味深い点です。カシオーリ自身はギーゼキングの演奏録音を特に重要視しているということなので、こちらの方も合わせて聴いてみました。ギーゼキングのドビュッシー演奏は1950年代初期になされたColumbia/EMI盤が有名ですが、1930年代から40年代にかけてアビーロード・スタジオでなされた初回録音の方が録音も演奏も優れていると思います。もとはSPですが、みずみずしく、躍動感があり、モノラル録音でも奥行き感や立体感がハンパではなく、いまから90年前と思えないほどの臨場感があります(実際に聴いたのはもちろんSPではなく最近APRから出たCD)。カシオーリがどちらのギーゼキングを念頭においているのか不明ですが、初回録音の方と考えると腑に落ちることが多々あります。

ギーゼキングがロンドンで「前奏曲集」第一巻を録音したのが1936年夏、これに対してカシオーリがヴェローナでドビュッシー曲集の録音をおこなったのが2005年夏ですから、そのあいだにほぼ70年間の隔たりがあります。演奏様式、ピアノという楽器そのもの、録音方式などさまざまな面で大きな変化があるわけですから、同列において比較するのはおかしいのですが、1936年夏のギーゼキングを聴きながら、まるでカシオーリを聴いているような錯覚に陥りました。自分でもこれには驚きました。といってもアゴーギク上の違いは顕著で、ギーゼキングに見られるテンポの急激な変化は、個人的様式であるとともに時代的様式でもあるのでしょうが、この点カシオーリはずっとクールです。ただしデュナーミクを含めてピアノの鳴り方にきわめて似た特徴が感じられるので、そんな錯覚が生じたのでしょう。カシオーリがあえて1960年代のスタインウェイを用いている理由もそのあたりにあるのかもしれません。APRのCDトランスファー技術も優れているのだと思いますが、いまから90年近く前のギーゼキングの演奏録音が生命エネルギーの躍動と輝きをもってよみがえるのに立ち会い、深い感動を覚えました(1950年代のリメイクが相手だと、そこまでゆきません)。

すでに述べたように、今回Power Reference導入のきっかけとなったのは古典四重奏団のCD録音でしたが、去年の大晦日は同団体が加わる恒例のベートーヴェン四重奏曲八曲連続演奏を聴きに出かけました。コロナ禍で控えていたので3年ぶりです。その二週間前にはリハーサル(といっても通しで気迫は本番とおなじ)も聴かせてもらいました。でも再生音の問題があってCDの方はまだ積極的に聴く気になれないでいました。大晦日の会場は文化会館小ホールでしたが、やはり目の前で弾いているのを聴かないと立体的に感じられない、というのが横にいた妻の感想でもありました。

それから三ヶ月が過ぎ、Power Referenceの導入のおかげで家で古典四重奏団のCDを聴いていてもどうやら立体的に感じるようになってきました。立体的というのは、空間的な位相感覚だけでなく、デュナーミク、音色の変化、奏者のあいだの和声的かつ対位法的なやりとりといった要素を含んでいて、むしろそちらのほうが決定的ファクターであるような気もします。

古典四重奏団は両翼にヴァイオリンを配し、第一の後ろにチェロ、第二の後ろにヴィオラをおき、上から見るとほぼ正方形な配置になるようなポジションで演奏します。基本的に暗譜での演奏(それじたい驚異的なことなのですが)なので、ほかの団体よりもたがいの距離が近くなります。このような演奏配置が演奏録音にどのような影響をおよぼすのかと考えると問題は複雑ですが、チェロに始まり、ヴィオラ、第二、第一とフレーズが受け継がれるときの展開のあり方などはわかりやすい例で、実際に演奏を聴いた記憶にも助けられている部分はありますが、第一の後ろから煽り立てるようなチェロの響きが聞こえたり、両翼に分かれた2台のヴァイオリンが競い合うように弓を動かすあたりはこの団体ならではの独自の立体感です。

昨年夏前にこのCDを初めて聴いたときのいかにもデジタル的な薄い音でも4台の楽器がそれぞれていねいに固有の音色を塗り重ねてゆくような演奏の特質は感じられ、楽曲のテクスチュア理解には貢献しても躍動感の面では物足りないという印象をもちましたが、それは再生環境が行き届かなかっただけだと悟りました。古典四重奏団の演奏する「大フーガ」は対位法的にも完璧な演奏というだけではなく、聴いているものの体を奥深いところから突き動かすエネルギーに満ち溢れた文字通り第一級の演奏だと素直に思えます。

最後に、最近聴いたもののなかから、カシオーリと庄司紗矢香によるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのSACD(DG /2022年)についてほんのひとこと。二人のコンサート案内は目にしてましたが、イザベル・ファウストやアリーナ・イブラギモヴァに方に注意が向いていて、聞き逃しました。庄司はストラディヴァリウスの弦をスチール弦からガット弦に張り替え、モーツァルト時代のクラシック弓を用い、カシオーリはフォルテピアノを用いての演奏録音ですが、ガット弦やフォルテピアノを用いるのは歴史的考証というよりも、21世紀の独自の響きの創造のためだといっているかのような演奏です。ストラディヴァリウスが太く力強い音で鳴るのも好ましいし、フォルテピアノも小さくまとまったりはしていません。弦がきしんだり、思いのほか激しいアタックが聞こえたりします。ふと立ち止まって次はどこに走り出すのかわからないといった瞬間が随所に用意された即興性に満ち溢れた演奏です。残念ながら実演は聞き逃しましたが、じゅうぶん埋め合わせができました。いまは家にいても、コンサートを聴くのとおなじような緊張感をもって演奏に立ち会うことができる、なんとも贅沢な時間を味わうことができるようになって、これもPower Referenceのおかげと感謝しています。

さまざまな意味での立体感が強まって、まさに演奏の現場にたちあう思いがする、というのは、フォーカスがぴったりと合ったということなのではないかと思います。フォーカスが合うことによって、楽音ばかりではなく、それまで襞のなかに隠れていたノイズやら漠然とした気配のようなものがたちあらわれてくる。暗騒音もそうだし、場合によってハレーションを起こしたように聞こえる打鍵後のピアノ弦の変容、そして奏者の吐き出すかすかなブレス音(文化会館小ホールでは第一の川原さんが鼻息で合図を送っていると妻が言ってましたが、聴力が低下している自分には聞こえませんでした)など。高周波ノイズは退治すべきものでしょうが、生命エネルギーの証となるノイズは生かすべきなのでしょうね。

Power Referenceの到着を待つあいだ、わが家には猫に小判のようなものだったかもしれないとという不安にも駆られました。でも導入後は驚きと気づきの連続です。必ずしもハイエンド機器を用いていなくても、とくに音色とか質感とかエネルギーにどこかしっくりしないものを感じている場合には計り知れない効果があるのではないか、というのがとりあえずの結論です。


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