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投稿者 スレッド
ホワイトメタル
投稿日時: 2014/4/9 23:29
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
再生音で悩む事
皆様、こんばんは。

いつもお世話になっております。

今回は、目標としております再生音について再度悩んでみました。

人の耳に聞こえる音の周波数帯域は、20Hz〜20kHzと言われています。(大人になると上限が15kHzまで下がると言われているそうです)
そこで、上記の周波数帯域の範囲で最大限に表現出来る単一楽器を調べてみたところ、パイプオルガンが10Hz位〜9kHz位、ピアノが30Hz弱〜4kHz強と該当します。
パイプオルガンもピアノもオーディオ再生では、満足のいく域まで再現出来るのか難しいと思うのは私だけではないと推測されます。
それは、ダイナミックレンジが広い上に音の強弱も顕著なので、録音製作側もかなりの感性と技量が必要とされるのではないでしょうか。
ピアノの録音物においては、理論値的には人の聴力を遥かに上回る周波数帯域は収まっていますし、倍音成分や残響感、奏者のニュアンスも再現出来ていて聴感上も聴きとれる事は周知の事実です。
何と表現したら良いのか悩むところですが、実際の生演奏はあの何とも言えない清澄で柔らかいけど力強く優しい粒立ち感、そうかと思えば絶望的に狂った様に激しい感情まで表現出来る楽器もピアノならではないでしょうか。
しかし、残念ながら録音物でこの様な感動に出会えるのは稀有ではないでしょうか。
因みに、一番執着しております大編成の交響曲や管弦楽などは複雑な要素が多すぎて、何となくしか意見が述べられませんので今回は割愛させて頂きます。

次に、人が発する話し声ですが、150Hz位〜500Hz位(中低音域)になります。
耳に優しく心地良い周波数帯域です。
僧侶がお経を唱えている音色に感銘を受ける覚えが多々あります。
お経を唱えるのは、音楽でも話し声でもありません。
音階など存在しませんが、妙に泣けてくる事があるのは単に悲しみからくるのか、それともお経の音色に心を奪われているのか、正直なところ解りません。

先日、商工会のお祭りに参加した際に、ちんどん屋の演奏に遭遇しました。
クラリネット、小太鼓、歌い手と決して上手いと思える演奏ではありませんでしたが、妙に感動しました。
これは記憶しておきたい音色だと思いました。
一流のホールと一流の演奏が全てではないと痛感しました。

では、ロックなどの電子音楽ではどうでしょうか?
これは、刺激的な感情の昂ぶりがある訳で、刺激音ではなく音量が極端に大きい事が大前提の分野で、精神の高揚や偶像を抱く事に意義があるのだと思うのです。
ライブ後は耳が馬鹿になるのですが、これが醍醐味でして家庭でのオーディオ再生ではここまでの高揚感や痛快感を得られる環境は難しいと思われます。
単純にロックは堪らない分野なのですが。

野外で聴く演奏はどうでしょうか。
音の定位や立体感などは感じませんが、私の感覚では極めてナチュラルに感じます。
普通の音に聞こえるのです。
構えて聴く必要もなく響きなど気にしなくても良いのですが、同時に集中力も散漫になります。
だからと言って、退屈に感じる事もなく感動すら覚えます。

屁理屈はさておき、本題の目標としている再生音に戻りたいと思います。
オーディオ再生において、現実ではありえない程に良い音が存在しています。
これこそがオーディオの醍醐味!と圧倒されてしまう再現性の事です。
箱(部屋やホール)の存在が消えて、歌手や楽器などの音像や定位が三次元的に変化して朧月の様に酔い痴れる感覚です。
憧れる要素である事は否定出来ません。
しかし、私は単細胞で素直でいたい質ですので、箱の存在は自宅のオーディオルームでも名ホールでも常に感じておりますし、歌手や楽器の音像や定位も錯覚的な陶酔感はどう評価したら解らなくなってしまいます。

アコリバさんの掲示板に書き込みさせて頂いているからこそ、この様な内容になってしまったと思っておりますし、アコリバ製品を増やせば増やすほどに素直でナチュラルな再生音に変化し続けていますので、是非ともご理解下さいませ。
肝心の私の再生音は、まだまだ発展途上でありますので到底目標としている再生音までは永い永い年月を要する段階であります。
乱文申し訳ございませんでした。

それでは、失礼致します。
zappa1993
投稿日時: 2014/4/12 11:56
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 再生音で悩む事
ホワイトメタルさん
こんにちは。

ホワイトメタルさんが書かれた生演奏の考察に同意します。
音楽の再生は決して周波数特性や帯域だけで判断できるものではありませんし、どんな高度な測定方法を用いても、生演奏のすべての要素を数値化することなど不可能だと思います。(どの様な要素に人間が音楽の魅力を感じるのかも、すべてが解明されている訳ではありませんし)
生演奏には言葉で表せない感動がありますし、それは再生音楽の魅力とはまた違ったものではないかというのが私の考えです。
絶対的にどちらが良いと言うものでは無く、突き詰めた再生音楽にはそれでしか味わえない魅力があるのも事実です。
しかし、ホワイトメタルさんが仰るようにピアノの演奏などは、生演奏を聴くとやはり再生音楽との違いを感じますし、この豊かな表現を再現することが出来るのか?と半ば諦めに似たような気持ちになり、生演奏の素晴らしさを再確認させられます。

生演奏でしか味わえない魅力の一つに、演奏者のエネルギーがあると思います。
視覚からの要素も大きいと思いますが、演奏者を間近に感じ、楽器から発せられるエネルギーに満ちあふれた音の洪水を浴びると、もう理屈抜きに音楽の素晴らしさを感じずにはおれません。
少し前にYoさんにお誘いいただいて、サックスとピアノの演奏をJAZZ喫茶に聴きに行ったのですが、演奏の素晴らしさもさることながら、演奏者の演奏にかける意気込みや熱意、感情移入などが物凄いエネルギーとなって耳に届き、言葉にならない感動を受けました。
オーディオでの再生音楽においても、この「エネルギー感」が大きな要素を占めているのではないかと思います。
エネルギー感と一言に言っても何とも曖昧な表現で、上手く言葉では説明できませんが、言わんとするところはお分かりいただけると思います。
そして私が思うには、エネルギー感というのは出そうと思って調整して出すものでは無く、その他の色んな要素(S/N、位相、立体感や奥行、音量、ダイナミックレンジetc)を突き詰めていく中で得られる表現力ではないかという事です。
しばらくオーディオが不調で、あれやこれやと調整をしている中でようやく聴ける音に戻ったのですが、その中で良いと思える音にはエネルギー感が欠かせないという事が改めて分かりましたし、先日のライブを思い出しながらサックスの演奏などを聴くと生演奏の再現(とは烏滸がましいですが)には再生音楽の中から演奏者のエネルギーまで感じられる域に達する必要があるのかもしれないと思うようになりました。
そこまで行かなくても、エネルギー感の感じられる再生音はサックスに限らず生き生きとして、演奏に引き込まれるものがあります。

上記とはまた違った経験ですが、先週花見に行った際に明治時代に迎賓館として使われていた建物でお茶をしました。
3~4階建ての洋館で、部屋に入ってしばらくするとどこからともなくソロピアノの音が聴こえてきました。
どこか別の部屋で鳴っている様で、最初は生演奏なのかCD等の再生なのか分からなかったのですが、少し耳を傾けるだけでこれが生演奏によるものだと理解できましたし、それは何とも優しい音色でした。
演奏者も目に入りませんし、階下(帰りに見ますと2階下の一室にピアノがありました)からの音だったためアタック感などもハッキリとは感じ取れなかったのですが、それでも生演奏と言うのは聴いて分かるものだなと思いました。
これを「エネルギー感」と言う言葉で片付けてよいものかどうか分かりませんし、実際にはその様なものは特に意識しなかったのですが、音の中に潜む無限大の演奏ニュアンスや空気感の中に生演奏のエネルギーを感じ取っていたのかもしれません。
(先述のJAZZ喫茶に置いてあったJBLパラゴンから小さな音量で流れていたソロピアノの音がとても自然で、少し離れたところで生演奏を聴いているような心地よさを感じたのですが、それとよく似た感覚でした)

本題からもずれ、何とも取り止めのない話になってしまい申し訳ございません。
オーディオ再生についての本題に戻りますが、あまりにHi-Fi調な音には違和感を覚えますが、音像定位については明確に感じられる方が私は好みです。
もちろん錯綜したようなピンポイント音像には疑問がありますが、立体感を伴った音像には演奏者を間近に感じる快感がありますし、定位の定まらない音像は何とも大味に感じてしまいます。
私はなにも立体感だけを目安に音の調整をしている訳では無いのですが、楽器の質感や響き、空間表現や音の整いを良好な方向に突き詰めていくと自然と立体表現も明確に出てくるものと理解しています。
実際の音を聴かず、言葉だけでの表現には限界がありますので、ホワイトメタルさんが仰りたい事をきちんと理解できていないかもしれませんし、私が好みとする音がどの様なものであるかをご理解いただくことも出来ませんので、誤解があればお許しください。
きっと「現実ではありえない程に良い音」と言う言葉がキーワードなのでしょうね。
仰りたい事よく分かります。

私のオーディオ再生もまだまだで、不満な点も多々ありますが、取り組んでいて楽しいですし、音楽を聴くたびに無上の喜びを感じます
ホワイトメタル
投稿日時: 2014/4/12 21:34
長老
登録日: 2012/8/21
居住地: 群馬県前橋市
投稿: 372
Re: 再生音で悩む事
zappa1993さん、こんばんは!

いつも大変お世話になっております。
ご丁寧に返信を頂き有難うございます。

毎回私の訳の分からない書込みにお付き合い頂き、日頃より感謝申し上げます。
やはり、zappa1993さんも私と同じ感覚をお持ちになられていますね。
YOさんと行かれたJAZZ喫茶のサックスとピアノの生演奏は、それは素晴らしい演奏だった事が確信出来ます。
>演奏者の演奏にかける意気込みや熱意、感情移入などが物凄いエネルギーとなって耳に届き、言葉にならない感動を受けました。

zappa1993さんが仰る通りだと思います。
予期せず想像以上の感動に出会えた瞬間は、わざわざ会場に足を運んで本当に良かったと心から思えます。
演奏者のエネルギー(修練に修練を重ねたものしか発する事が出来ない)とパッションは聴衆を虜にします。

>先週花見に行った際に明治時代に迎賓館として使われていた建物でお茶をしました。
3~4階建ての洋館で、部屋に入ってしばらくするとどこからともなくソロピアノの音が聴こえてきました。
どこか別の部屋で鳴っている様で、最初は生演奏なのかCD等の再生なのか分からなかったのですが、少し耳を傾けるだけでこれが生演奏によるものだと理解できましたし、それは何とも優しい音色でした。
演奏者も目に入りませんし、階下(帰りに見ますと2階下の一室にピアノがありました)からの音だったためアタック感などもハッキリとは感じ取れなかったのですが、それでも生演奏と言うのは聴いて分かるものだなと思いました。
これを「エネルギー感」と言う言葉で片付けてよいものかどうか分かりませんし、実際にはその様なものは特に意識しなかったのですが、音の中に潜む無限大の演奏ニュアンスや空気感の中に生演奏のエネルギーを感じ取っていたのかもしれません。

私も5年程前に、横浜で上記と類似した体験を思い出しました。
文明開化(明治初年?)に建てられた迎賓館の様な洋館で、5月の陽気の良いさなか、1階の広間でお茶をしていた際に2階からピアノの生演奏が聞こえてきました。
2階のドアと1階のドアは開け放されていたと思います。
ベートーヴェン「悲愴、第2楽章:アダージョ・カンタービレ」が心地よく4分の2拍子の旋律に乗って私の耳と心に染み入ってきて、思わず少年期の大切な追憶が蘇って金縛り状態になってしまいました。
しかし残念ながら、演奏途中に音を外してしまい私と妻はズッコケてしまいましたが・・・
妻が言うには、小学生のピアノ発表会だったそうです。
但し、この優しい音色は一生忘れる事はなく私の記憶に残り続ける事だと思います。

拍車をかけてオーディオでの再生音の悩みから脱線してしまい申し訳ありません。

オーディオ再生の醍醐味は生演奏の代替ではありませんし、パッケージメディアの再生を極める趣味である事は理解をしておりますし、今後も極めたい一心(判断基準は様々ですが)で続けていきたいと渇望しております。
位相が整う、高密度感、音像定位、明瞭感、立体感、質感向上の獲得。
ノイズや電磁波減退の効果を確認。
その他気になる点は多々ありますが、徐々に進歩している事に気付いている事が大切な要素だと思われます。

zappa1993さんがご指摘して頂いた通り、今回のキーワードは「現実ではありえない程に良い音」です。
これは、ハイエンドと言われている再生音で遭遇した事が何度かあります。
実に恐ろしいと思いました。
高級機故の再現性で、音に凄みが漲っていて虚勢を張って威圧的な音の押し出し感と金属的な質感が脳裏に焼き付いています。
やはり、この様な現象を回避出来るのはアコリバ製品を多用する事が一番良いと思うのは周知の事実ですよね。

それでは、失礼致します。





zappa1993
投稿日時: 2014/4/13 3:03
長老
登録日: 2011/3/17
居住地:
投稿: 1916
Re: 再生音で悩む事
ホワイトメタルさん
こんばんは。

ご丁寧にお返事ありがとうございます。

>予期せず想像以上の感動に出会えた瞬間は、わざわざ会場に足を運んで本当に良かったと心から思えます。
演奏者のエネルギー(修練に修練を重ねたものしか発する事が出来ない)とパッションは聴衆を虜にします。

仰る通りですね。
我々凡人にはとても真似できない情熱と才能あふれる演奏を聴くと、もう只々感心するしかありませんし、その掛け替えのないひと時を得られたことに感謝します。
その度に、何と音楽とは素晴らしいものかと感慨深くなります。

>私も5年程前に、横浜で上記と類似した体験を思い出しました。
文明開化(明治初年?)に建てられた迎賓館の様な洋館で、5月の陽気の良いさなか、1階の広間でお茶をしていた際に2階からピアノの生演奏が聞こえてきました。
2階のドアと1階のドアは開け放されていたと思います。

何とも似通った体験ですね
書き忘れましたが、私が行った迎賓館もドアはなく、建物中央付近にある幅広い階段周りは大きな吹き抜けになっていました。

>但し、この優しい音色は一生忘れる事はなく私の記憶に残り続ける事だと思います。

意識しようがしまいが、この様な過去に聴いた生音の記憶がオーディオの音決めの指針になっていると思いますし、生音を知っていると自己満足的な音になりにくい面があるように思います。
よく言われるように、出来るだけ生演奏を聴いた方が良いというのは尤もなことですね。

>その他気になる点は多々ありますが、徐々に進歩している事に気付いている事が大切な要素だと思われます。

仰る通りで、どこがどう良くなったか、また悪くなったところはないかといった点をきちんと意識して聴くことが大切だと思います。

>高級機故の再現性で、音に凄みが漲っていて虚勢を張って威圧的な音の押し出し感と金属的な質感が脳裏に焼き付いています。

確かにその様なこれ見よがしの再生音はありますね。
これはオーディオ機器そのものが数値的な優等性を目指しただけの化け物である場合もありますし、或いはそれらのオーディオ機器を使うオーディオファイルが金に任せた扱いしかしていないからかもしれません。
特に高域のキツさをもって音の輪郭がハッキリして高解像だと勘違いしたり、混濁や膨らみのある低域をもって音に厚みがあるなどと勘違いする人は多いようで、同様にオーディオ的な快楽だけのダイナミズムを凄い音だと感じるのかもしれません。
一体どこで演奏を聴けばあれほど耳障りで刺激的な音に出会えると言うのでしょう?

ホワイトメタルさんの投稿を読んで、別スレッドで話題にさせていただいた和田博巳さんの連載記事にも少し似た表現が出てきたことを思い出しました。
(またかと言わずお読みください)

『「おや、力強かったり鮮烈だったり、迫力があって聴き応えがある音の、いったいどこが悪いんだ」という声が聞こえてきます。でも、生音よりも再生音のほうが一聴した感じは迫力がある、という再生装置はいかがなものか、もうそろそろいいんじゃないかと、それが現在のぼくの偽らざる気持ちです。〜以下省略〜』(Stereo Sound No.190より転記)

考え方は人それぞれですし、和田氏の考え方もその中の一つに過ぎませんが、確かにそうした迫力ばかりを重んじる風潮にはどこか歪なものを感じます。

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